研究概要

道徳的行為者のロボット的構築による<道徳の起源と未来>に関する学際的探究

1.研究の概要

人間は己の存在形態を正当化するために神話や宗教、道徳などを創造してきた。だが道徳において先鋭化するこれらは、人間に課されてきた自然条件によって偶然に枠組みが定められたものであり、条件が変容すればその内容は根底的に変わりうるであろう。現在、様々な技術が人間の心理的身体的能力を拡張し始めると伴に、他方では人間を凌駕する知的ロボットが創造されつつある。我々はこうした事態を自然条件の大きな変容の始まりと捉え、未来に向けた提言が必要と考える。そこで本研究は、ロボット工学や心理学などの経験的手法を取り入れつつ、ロボットのような新たな存在を道徳的行為者として受容できる社会を構想するための新たな道徳理論の主要テーゼへと至ることを掲げる。そこには、既存の道徳理論の適用可能性を検討するだけでなく、道徳の起源にまで遡って、生死、善悪、生きる意味など、従来の人間の生存条件に基づく様々な超越的概念に根本的な検討を加えることが含まれる。 

2. 研究の背景と中心的な問い

 我々の道徳の内容を制約してきた自然条件は偶然的なものではあるが、それなりに定式化できる(例えば、ハート『法の概念』)。とはいえ「道徳」の輪郭、すなわち道徳的概念の適用範囲とその仕方は、科学技術の発展とともに変化しうる。実際のところそれは安定的でも明確でもなく、これまでも、とりわけ応用倫理学の分野を中心に、新しい領域について道徳的にどうあるべきか、どうなっていくべきか、が様々に論じられてきた。こうした流れは、サイボーグ、AI、知的ロボットといった近未来的な技術の産物の登場(あるいは登場の予感)とともに、新たな局面へと進みつつある。敏感な論者たちは、「サイボーグ倫理」や「ロボット倫理」といった新奇な看板を掲げて議論を重ねてきている。ただし、そこで語られるのは依然として、既成の倫理の変更ないし拡張可能性であり、ロボット自体が行為者性を備えた倫理的な存在となるという可能性について正面から論じられた形跡はほとんどない。

 これまで本研究グループは、複数の科研費(「2 本研究の着想に至った経緯など」を参照)によって、AIや知的ロボットなどが人間社会に与える意味について、概念的分析にとどまらない研究――人工的な認知システムやロボットの構築を本質的部分として含む、AIやロボット工学、実験心理学と哲学との学際的研究――を遂行してきた。その中で、個々の人工物の工学的改良の先にある、トータルな存在としてのロボットの社会的あり方、換言すれば十分に知的な〈ロボットと人間が共生する社会をいかに形成できるのか〉という問題に至った。これこそが、ロボットやAIに関する最近の目覚ましい技術革新の果てに我々人類が直面する、喫緊の回避不可能な課題であり、本研究グループが正面から引き受ける核心をなす問いである。そしてこの問いは、以下のように言い換えることができる。すなわち、〈ロボットのような新たな存在を、道徳的行為者として受容できる社会を構想するための新たな道徳理論の主要テーゼとは何か〉である。そこにおける道徳的行為者とは、単に共感の対象となるだけでなく、帰責の対象ともなりうる自律的な存在である。

3. 本研究の学術的独自性と創造性

 科学革命からの自然科学の台頭と細分化や心の科学における認知革命以降、哲学に独自の領分は狭められる一方である。もちろん、個別科学の隆盛とともにそれらについて概念的理論的サポートをするための、生物学の哲学、物理学の哲学、心理学の哲学などといった分野が創設されてはいるが、哲学をとりまく危機が取り除かれたわけではない。近年はそうした危機への高い意識が、単に机上で議論を構築するだけでなく、積極的に経験科学の成果を参照し、それを参考に己の理論を構築する哲学研究を産み出してきている。本研究課題はこうした意識を共有するものではあるが、さらにその先にある個別科学と哲学との実質的な融合を目指すところに独自性がある。これまでも、AIの哲学やロボットの哲学という名の下に、これら新技術の可能性と限界を論じるための理論的枠組みが語られてはきた。ただし、それらはあくまでも、既存の哲学的概念の中に新技術を押し込めようとするものである。本研究の学術的な創造性は、実質的な学際研究によって、概念を作り直すという点にある。やや敷衍すれば、単に概念的・哲学的な理論を構築するだけでなく、その理論を仮説として提示しそれを実質的に検証する実験パラダイムを構築し、そこで得られた経験的なデータに基づいてその理論(仮説)を鍛え直すという、理論と実証との往復を哲学的な精緻さにおいて実践するということである。 

 過去の哲学を見れば、アリストテレス、デカルトなど、常に最先端の(実験)科学の先駆けとなり、科学を推進する現場で成熟してきた。だが、現代のように自然科学が細分化した状況下では、哲学者だけでそうした実践を行うことは不可能である。そこで我々は、本研究を遂行するために不可欠と考える諸分野の研究者との実質的な共同作業を、学問間の垣根を越えて国際的な水準で行う。実質的な共同作業の現場においては、自然科学を専門とする共同研究者たちも哲学的な思考を実践し、哲学を専門とする研究者たちも仮説を立て経験的な検証の現場に参加する。本研究の創造性は、こうした研究を哲学主導で行うことによって近未来社会への提言までも視野に入れた広がりをもつ点にある。




ニュース&トピックス

  • 2024.11.1

    研究グループのメンバーによる最近の成果
    • 村田・長滝ほか著『心の哲学史』(講談社)が11月14日に刊行。長滝は第二章「心の科学・心の哲学・身体の現象学――内観・行動主義から心と身体への展開」を執筆。 | 詳細リンク
    • 森田邦久・柏端達也編『分析形而上学の最前線──人、運命、死、真理』、春秋社、2024年11月 | 詳細リンク
    • Koji Tachibana and Eisuke Nakazawa. (2024). “The Consciousness of Virtue: Uncovering the gaps between educational specialists and the general public in their understanding of virtue in Japan”, Frontiers in Psychology—Cultural Psychology, 14: 1171247. doi: 10.3389/fpsyg.2023.1171247
    • Koji Tachibana. (2024). “Virtue ethics embedded: Aristotelianism in the post-war Japanese moral education”, Journal of Moral Education. x(x): xxx–xxx. doi: 10.1080/03057240.2024.23
    • Koji Tachibana, and Makoto Miyakoshi. (2024). “Toward a more meaningful use of EEG in moral neuroscience”, American Journal of Bioethics: Neuroscience, 15(3): 209–211. doi: 10.1080/21507740.2024.23
    • Koji Tachibana. (2024). “Love is not the same as loving: What if we have a love drug for being loved?”, American Journal of Bioethics: Neuroscience, 15(4): 250-252. doi: 10.1080/21507740.2024.2402227
    • Koji Tachibana. (2024). “Virtues and the Aim of Japanese Character Education” Routledge International Handbook of Life and Values Education in Asia. Edited by John Chi-Kin Lee and Kerry Kennedy. Oxford: Routledge, chapter 40 (pp. 370–379).
    • Koji Tachibana. (Ed.) (2024 / In Press) Alternative Virtues: Japanese Perspectives on Christian and Confucian Traditions. Oxford: Routledge. ISBN 9781032501420
    • 加藤樹里・三井雄一 (2024). 消費者行動における感動の位置づけ, 心理学の諸領域、印刷中
    • Kato, J. (2024). Effects of finitude salience and value orientation on the feeling of being moved. International Journal of Psychology. https://doi.org/10.1002/ijop.13253
    • Kato, J., & Hitsuwari, J. (2024). Association Between the Creative Experience of Haiku Poetry and a Tendency Toward Self-Transcendent Emotions. Journal of Creative Behavior. https://doi.org/10.1002/jocb.657
    • 加藤樹里・白井真理子 (2024). 「涙を流して感動した」人に対して形成される印象とは 感情心理学研究, 31(1), 12–20. https://doi.org/10.4092/jsre.31.1_12
    • 金野 武司, 堀ノ 文汰, 長滝 祥司, 柏端 達也, 大平 英樹, 橋本 敬, 柴田 正良, 三浦 俊彦, 加藤 樹里 (2024). 道徳的ジレンマ状況でのロボットの行為への評価に対して大規模言語モデルを用いた対話が与える影響, 日本認知科学会第41回大会(JCSS2024)予稿集, pp.215-218. | 詳細リンク
    • Liu et al. (in press) Wherefore Art Thou Competitors? How Situational Affordances Help Differentiate Among Prosociality, Individualism and Competition. European Journal of Personality (DOI: 10.1177/08902070241298850/ ID: EJP-23-3974.R2)
    • 笹森なおみ, 橋本敬 (2024) 予期的後悔が道徳的意思決定に与える影響の道徳ジレンマ課題による分析, 第10回知識共創フォーラム アブストラクト集, pp. 21-22.
    • QIN Mujun, 橋本敬 (2024) 疎外感から見た個人と集団の物語のアンマッチ-自伝的記憶による疎外感を受容する効果, 第10回知識共創フォーラム アブストラクト集, pp. 29-31.
  • 2024.10.25

    株式会社オンジンの運用する『学びの地図』に長滝の研究が紹介されました。 | 詳細リンク | 株式会社オンジン
  • 2024.01.6

    長滝が1月24日にAROB 29th 2024で発表をする。
    タイトルは、 Towards a new moral conception for a society of diversity: Embracing animals, intelligent machines, and beyond. | 詳細リンク | プログラム
  • 2024.01.6

    1月刊行の書籍に長滝が寄稿。
    『「情動」論への招待  感情と情動のフロンティア 』(勁草書房)の第1章「感情と心身因果――伝統的理主義に抗して」(長滝祥司)詳細リンク
  • 2023.07.12

    長滝が、modern times 企画による対談に登壇する。
    《8月1日配信》「人類には身体があるじゃないか。生成AIが手を出せない、計算不可能な価値の作り方」詳細リンク
  • 2023.07.12

    大平が、2023年7月26日、Hugo Critchley先生・Yoko Nagai先生を招き講演会「脳と身体の相互作用:基礎研究と臨床応用」を主催する。申し込みリンク
  • 2023.05.31

    長滝祥司による記事がMODERNTIMESに掲載された。記事タイトルは「豚は裁判にかけられた。「人間以外」が道徳を問われたとき」。詳細リンク
  • 2023.03.8-14

    1st International Meeting on Robo-Ethics and Philosophy between Italy and Japan in Milano, Como, and Bergamoが開催される。| スケジュール | 情報 | 詳細リンク|
  • 2023.03.29

    共同研究者のDr. Roger Andre SøraaのHealthcare and Technology Research Group (funded by The Norwegian Research Council)が、2023年3月に来日。3月29日に中京大学を訪問し、長滝祥司と今後のコラボレーションについてミーティングを行う。
  • 2023.02.13

    長滝祥司による記事がMODERNTIMESに掲載された。記事タイトルは「テクノロジー・欲望・苦痛――自然の運を制御することのむこう側」詳細リンク
  • 2023.01

    大平英樹、他による共著論文が出版される。タイトルは“Changes in social activities and the occurrence and persistence of depressive symptoms: Do type and combination of social activities make a difference?”
  • 2022.12.06

    長滝のインタビュー記事が掲載された以下の著書が出版された。(1)Paperback b/w (19.99$) cf. (2) Hardback colour (59.99$) cf.
  • 2022.11.18

    長滝祥司による記事がMODERNTIMESに掲載された。記事タイトルは「テクノロジーは運を制御できるか、あるいは制御すべきか」詳細リンク
  • 2022.11.26

    長滝祥司、他が、日本現象学会の『ワークショップ:スポーツ・パフォーマンスの現象学』で発表した。タイトルは「一回性と共通理解――サッカーの戦術を題材として2」。
  • 2020.10.27

    大平英樹が第75回日本自律神経学会総会シンポジウム「脳画像から解き明かす自律神経不全の病態」で発表した。タイトルは「自律神経と意思決定」。
  • 2022.10.21

    橋本敬、他の共著『言語進化の未来を共創する』がひつじ書房より出版された。
  • 2022.10.21

    長滝祥司が『愛知サイエンスフェスティバル2022』で講演を行った。タイトルは「心の科学と客観性」。
  • 2022.10.03

    三浦俊彦「美的対象としての第二次世界大戦」が掲載されている『美学芸術学研究』が出版された。
  • 2022.09.21

    大平英樹「内受容感覚の予測的処理」が掲載されている『認知科学講座4 心をとらえるフレームワークの展開』が東京大学出版会から出版された。
  • 2022.09.13

    長滝祥司「科学・身体・他者ー一哲学的観点から見た関係性の認知科学の可能性」が掲載されている『認知科学講座3 心と社会』が東京大学出版会から出版された。
  • 2022.09.08

    金野武司、他が第39回認知科学会大会(JCS2022)にて発表を行った。
    人−計算機インタラクションでの視覚的手がかりの提示による不自然さへの気づき」、
    「記号コミュニケーションシステムの形成過程において起こる意味の重複の解消方法とその効果の検証」
  • 2022.09.08

    加藤樹里、他が日本認知科学会第39回大会にて発表を行った。
    「道徳的行為者となり得る3条件をシナリオで操作したロボットに対する道徳的判断の検討」
  • 2022.09.05

    橋本敬、他による共著論文がJCoLE Scientific Committeeより出版された。

    "Neurofeedback training as a method for evaluation of brain systems for language"

    "The condition of recursive combination in the evolution of reinforcement learning agents"

  • 2022.09.05

    橋本敬、他がJCoLE Workshop on Constructive approaches to co-creative communication in Joint Conference on Language Evolutionでポスター発表を行った。
  • "Dialogue evoking conceptual blending for co-creative communication with robots"

    "Moralistic punishment in online flaming"

    "Constructive approach to play in constructionism co-creative communication"

  • 2022.09.05

    金野武司、他がConference on Language Evolutionにて発表を行った。
    ”Mechanisms Underlying the Hermeneutic Circle Between Connotation and Denotation in the Construction of Symbolic Communication Systems”
  • 2022.08.30

    柏端達也の特集「分裂する受精卵と分裂する人」が掲載されたG.E.M.アンスコム『思想』が出版された
  • 2022.08.03

    長滝の著書が東京大学出版から発売された。タイトルは『メディアとしての身体: 世界/他者と交流するためのインタフェース』詳細リンク
  • 2022.07.25

    大平らによる共著論文がInternational Journal of Geriatric Psychiatryにて発表された。タイトルは Changes in behavioral activities and transition of depressive symptoms among younger‐old community‐dwelling adults during 6 years: An age‐specific prospective cohort study.詳細リンク
  • 2022.07.22

    加藤他の共著論文が工学教育にて発表された.タイトルは『PBLにおける成績評価対象者の違いがリーダーシップに与える影響』詳細リンク
  • 2020.07.01

    橋本他がThe 13th International Conference on Computational Creativity (ICCC’22)にて発表を行った.タイトルは”Noise as a key factor in realizing a creative society”詳細リンク
  • 2020.05.30

    大平他の共著論文がInternational Journal of Environmental Research and Public Healthにて発表された。タイトルは”Effect of indoor forest bathing on reducing feelings of fatigue using cerebral activity as an indicator”詳細リンク
  • 2022.04.15

    大平他による共著論文がScientific Reportsにて発表された。タイトルは”Mothers’ interoceptive sensibility mediates affective interaction between mother and infant.”詳細リンク
  • 2022.04.11

    大平他による共著論文がFrontiers in Psychology 13にて発表された。タイトルは”Somatic symptoms: Association among affective state, subjective body perception, and spiritual belief in Japan and Indonesia”詳細リンク
  • 2022.03.31

    橋本他による共著論文が認知言語学研究7にて発表された。タイトルは『言語とコミュニケーションに対する複雑系アプローチ―あり得た言語に迫る構成論の導入に向けて』
  • 2022.03.25

    柏端が翻訳したG.E.M.アンスコム『インテンション: 行為と実践知の哲学』が岩波書店より出版された。詳細リンク
  • 2022.03.03

    橋本他がHAIシンポジウム2022にて発表した。タイトルは『概念融合を喚起するロボットと人間の対話に関する研究』
  • 2022.03.03

    大平他が情報処理学会第84回全国大会にて発表した。タイトルは”A study for the exploration–exploitation strategy of human based on restless two-armed bandit task”詳細リンク
  • 2021.11.13

    橋本他の共著論文がMathimatics 9にて発表された。タイトルは”Granule-Based-Classifier (GbC): A lattice computing scheme applied on tree data structures”詳細リンク
  • 2020.08.09

    三浦による論文がJTLA(Journal of the Faculty of Letters, The University of Tokyo, Aesthetics)にて発表された。タイトルは“What is Gender as an Individual Identity?”詳細リンク
  • 2020.08.05

    長滝、WellnerがThe Society for Social Studies of Science (4S) in Prague/Onlineでシンポジウムを行う。
    (Fri, August 21, 12:00 to 1:40pm CEST (7:00 to 8:40pm JST), virPrague)。パネルタイトルは、"Postphenomenology and Computing: AI, Robotics, and the Digital" Nagataki, "On the Digital Revolution: from a (Post)Phenomenological Viewpoint" Wellner, "AI Beyond the I-Technology-World Formula"

    詳細リンク
  • 2020.08.05

    柴田、橋本、Liberati、長滝がPhilosophy of Human-Technology Relations Conference 2020でシンポジウムを行う。オンライン開催。

    Philosophy of Human-Technology Relations Conference 2020 (DesignLab, University of Twente, The Netherlands, November 5-7th)

    Panel Title : Digitalization, Communication, and Robotics

    Shibata. "What makes the “communication per se” possible among autonomous robots?" 

    Liberati. "Intimacy and robots" 

    Hashimoto. "Be creative and critical with digital nature of language in digitalized world" 

    Nagataki. "Digitalizing humanity?"

    詳細リンク

アーカイブ:本研究の前史

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