写真 |
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概要 |
建立年月日:2014年7月29日
建立者:舞鶴空襲動員学徒犠牲者慰霊碑建立委員会
規模:本体 高さ60cm・横80cm・厚さ12cm
本体足 高さ15cm・横12cm・奥行き30cm
土台 高さ8cm・横80cm・奥行き33cm
舞鶴空襲学徒犠牲者慰霊碑の添碑である。
2016年2月6日調査 |
碑面 |
(碑表面)舞鶴空襲学徒犠牲者慰霊
建立の趣意
太平洋戦争の末期、一九四五(昭和二〇)年七月、舞鶴海軍工廠は爆撃をうけ、
当時勤労動員されていた学徒も二〇名の犠牲者と多くの負傷者を現出した。
空襲により、青春の全てを失い、失明の苦難の中で二〇一三年一二月に、
八〇年余の生涯を終えられた京都市立洛北実務女学校・橋本時代さんの悲願を
生かし、死者全員の所属学校名と御名を刻印し、追悼の念を新たにすると共に、
平和への強い願いを籠めて、ここに舞鶴市当局のご理解を得て 慰霊の碑を建立する。
二〇一四年七月二九日
舞鶴空襲動員学徒犠牲者慰霊碑建立委員会
橋本時代 元動員学徒有志 舞鶴市民有志
一九四五年七月二九日、舞鶴空襲学徒・教師犠牲者の氏名
京都師範学校
植田有宏 起須秀夫 加藤義澄 木村勝一 久保文雄
佐藤丈太郎 中村 裕 平岡宏司 水嶋 修
京都市立洛北実務女学校
上田夏江 川崎静子 鈴岡和子 茶谷絹江 中西昭子
秦美恵子 森本八重子
京都市立第二商業学校
安藤良瑞 井倉長三 鵜飼文男
京都府立舞鶴第二高等学校女学校教諭
藤田譲二 |
所在地 |
京都府京都市舞鶴市余部下 共楽公園内 |
地図 |
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