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北海道HOKKAIDO 


樺太国境標石碑(北海道護国神社)

 写真    
 概要 建立年月日:2005年5月
  建立者:桜庭慶一
   規模:碑石 高さ64cm・横幅50cm・奥行き30cm
       台 高さ11cm・横幅80cm・奥行き60cm
      台座 高さ101cm・横幅70cm・奥行き50cm
      碑板 縦50cm・横50cm・厚さ3.5cm
      土台 高さ1.5cm・横幅90cm・奥行き71.5cm

2022年8月21日調査
 碑面 (標石正面)大日本帝国境界
(標石左面)АСТР
       No 1
(標石右面)天第一号 
      明治三十九年
(標石裏面)РОССiЯ
       1906
      ГРАНИЦА
(台座正面碑板)樺太国境標石
略史
 この標石は樺太(サハリン)に於ける日本国とロシア帝国との国境・北
緯50度線(右側の樺太池顕彰碑に於けるN50°)に4ヶ所あった国境
標石の内、東端 にあった天測点、天第1号の原寸レプリカです。南側には
日本国の菊花ご紋章、北側には当時帝政ロシアの紋章であった双頭鷲、両
側には夫々の国の文字で建設年とNoが彫まれてあります。これの設置に
あたっては、千古不斧の山岳大密林を10m巾で伐り開き、苦難の末国境
を確立したという歴史的に意義のあるもので した。
 樺太は長い間日本とロシア帝国の共存共有の領土でありましたが、明治
8年(1875)樺太と千島列島交換条約に依りロシア領土となりました。
明治38年(1905)日露講和条約(ポーツマス条約)に依り北緯50
度線以南が日本国領土となり、この時この国境標石が設置されました。以
来昭和20年(1945)のポツダム宣言に依りソ連領土になる迄の40
年間、私共の先祖40万人が血と汗を流し楽土を築きあげて来ておりまし
たが、太平洋戦争が終り多数の犠牲者や資産を残し幾多の苦難を乗り越え
て帰国して来たことを後世に伝えるべく、樺太池があり樺太に縁のある殉
国の英霊が、お眠りしているこの地に、これを建立致しました。
(台座裏面碑板)
 奉献者
桜庭慶一(ホルムスク)真岡
   (全国樺太連盟旭川支部長)
 2005、5(平成17年5月)建立
所在地 北海道旭川市花吹町1-2282-2 北海道護国神社境内
 地図  

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