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三重MIE 


四日市空襲殉難碑

 写真





「四日市空襲殉難碑」説明板
 概要 建立年月日:1980年6月
  建立者:四日市空襲殉難碑建立委員会
   規模:本体 本体 高さ211㎝・横355㎝・奥行き43㎝

2023年9月2日調査
 碑面 (正面)
平和の誓い
  四日市空襲殉難碑
   四日市市長 加藤寛嗣書
(裏面)
  殉難碑撰文
 昭和十六年十二月八日に勃発した太平洋戦争
は、ポツダム宣言受諾によって、同二十年八月
十五日遂に我が国の敗戦に終った。
 この間、アメリカ空軍重爆撃機B29による
日本本土への空襲は日ましに激化し 戦禍はとど
まるところを知らなかつた。海軍燃料廠をはじ
め多くの工場群を擁した四日市市も、前後六回
にわたる苛烈な爆撃により壊滅的被害を受けた。
 わけても最初の爆撃を受けた六月十八日の
災禍は悽愴の一語に尽きる。即ち午前零時四十五
分頃から約一時間にわたり、B29三十五機の、
三万発におよぶ油脂焼夷弾等の絨毯爆撃により
市街地は灼熱のるつぼと化し、退路を断たれた
多くの市民は、阿鼻叫喚の巷を彷徨した。炎の
犠牲となるもの、壕に閉され窒息死するもの、
身をかえりみず消火に一命を賭するもの、あわ
せて八百余名にのぼった。恐怖の一夜が明ける
と、一望焦土と化した焼跡に、ただ呆然とたた
ずむもの、未だ硝煙のくすぶる中を、肉親を求
めて右往左往するもの、まさに戦爭のうんだ
悲劇である。
 終戦後三十五年を経た今日、各方面の浄財に
よって、ここに新しく四日市空襲殉難碑を建立
しその霊の安らかなることを願い、後世悲惨な
る戦爭の絶滅を期し、世界永久の平和を祈念す
るものである。

四日市空襲被災記録
 被爆年月日 昭和二十年六月十八日、同二十二日、同二十六日
       同 七月九日、同二十四日、同二十八日
 戦災死者     八百余名
 重軽傷者   一、七三三人
 被災人口  四九、一九八人
 被災戸数  一〇、四七八戸
昭和五十五年六月
  四日市空襲殉難碑建立委員会

(説明板)
四日市空襲
 昭和20年6月18日午前1時過ぎ、四日市上空に達したB29重爆撃機編隊が投弾を
開始、焼夷弾約1万発を投下し、一夜にして全市の35%にあたる市街地が焦土と化し、
死者・負傷者・行方不明者併せて数万人の被害を出した。この6月18日から8月8日に
かけて6回の空襲を受けました。

四日市空襲被災記録(※四日市空襲殉難碑裏面と同じ)
 昭和20年6月18日、同22日、同26日、7月9日、同24日、同26日
     
 戦災死者 八百余名
 重軽傷者  1,733人
 被災人口 49,198人
 被災戸数 10,478戸
昭和55年6月 四日市空襲殉難碑建立委員会

平和の誓い 四日市空襲殉難碑
 (6月18日 鵜の森公園にて四日市空襲犠牲者慰霊献花式)
    殉難碑文
     〔※上記「四日市空襲殉難碑裏面」と同じため略〕
所在地 三重県四日市市鵜の森1-251 鵜の森公園内
 地図  
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