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戦争記念物アーカイブ
長野
NAGANO
山本慈紹翁像
写真
概要
建立年月日:1989年7月30日
建立者:山本慈昭胸像建立委員会
規模:胸像 高さ65 ㎝・横48㎝・奥行き48㎝
台座一段目 高さ124 ㎝・横上部60㎝・横下部69㎝・奥行き上部60㎝・奥行き下部68.5㎝
台座二段目 高さ10㎝・横122㎝・奥行き119.5㎝
副碑 碑石 高さ121㎝・横74㎝・奥行き19㎝
台座 高さ11㎝・横106㎝・奥行き45.5㎝
2025年4月30日調査
碑面
(碑面表)
山本慈紹翁像
日中友好手をつなぐ会全国会長
一偶を照らそう
大僧正 慈昭書
(碑面裏)
全国の皆さんの寄付に寄り建立す
平成元年七月丗日
山本慈昭胸像建立委員会
(副碑 碑面表)
副 誌
略 暦
明治三十五年一月二十五日
飯田市伝馬町に生る 父は今村■策母は山本やを幼名梅雄
明治四十二年
八才で高森町瑠璃寺慈達僧正について出家■■慈昭と改む 長じて善光寺晃純大僧正に師事
大正十年
京都比叡山に登り十二年修学
昭和六年
汎太平洋仏青大会に米国に渡りハワイに滞在ホノルルに延暦寺別院創立
昭和八年
岐阜県大日坊住職 岐阜県社会教育委員奈良吉野山金峰山寺社会部長拝命
長岳寺に転住しこの間国民学校教員も務る
昭和二十年五月
満州阿智郷開拓団員として渡満恭院を務る
昭和二十二年
帰国後は会地村役塲の厚生課主任として引揚者の援護に当る
昭和三十九年
平岡に中国人殉難慰霊碑を建立訪中して日本に於ける
中国殉難者遺骨を送還周恩来総理に手渡す
昭和四十七年
日中国交正常化を機に先駆けて残留孤児問題に取組む
(副碑 碑面裏)
昭和四十八年
日中友好手をつなぐ会を設立 自から全国会長と成り放送新聞等マスコミの協力を得て国会に働きかけついに厚生省を動かし残留孤児の訪日調査を実現させる
昭和五十七年
比叡山から長岳寺二十七世山本慈昭大僧正に拝命される
昭和六十年七月
財団法人長野中国帰国者定着センター広拯会館設立
昭和六十二年十一月
昭和天皇の叙勲に浴す
私ども此の機会に当り山本慈昭大僧正の功績を永く讃え感謝の意を
表し建立するものである
平成元年七月吉日
山本慈昭大僧正胸像建立委員会
所在地
長野県下伊那郡阿智村駒場569 天台宗広拯山長岳寺境内
地図
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