| 写真 |

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| 概要 |
建立年月日:1972年6月15日
建立者:山口村開拓団関係者
規模:碑石 高さ162㎝・横71㎝・奥行き14㎝
台座一段目 高さ60㎝・横150㎝・奥行き106㎝
2005年2月13日、長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に編入合併。
2025年5月2日調査 |
| 碑面 |
(碑正面) 満洲開拓之碑
長野県知事西沢権一郎書
(碑裏面)
満 洲 開 拓 略
満洲開拓は昭和十年頃より國策として國縣の指導の下に実行に移されて行きつゝ有りしに
中に旧山口村よりも昭和十三年に第六次開拓団に参加同十三年より義勇軍開拓団にも参加
亦同十三年に旧讀書村開拓団にも参加夫々使命に向つて努力しつゝ有りしがたまたま旧山
口神坂田立の三ヶ村合同にて木曽郷開拓団を満洲の地に建設するの案縣の指導の下に着々
進み昭和十六年四月には三ヶ村より先遺(ママ)隊員北安省徳都縣双竜泉に木曽郷建設の第一歩を
足し昭和十六年八月に旧三ヶ村は木曽郷建設事務組合を設立団員送出に各村共努力を續け
つゝ有りしに昭和十六年十二月入り大東亜戰爭勃発と共に団員送出に苦難を重ねしを以て
昭和十八年に木曽郷の中に報德農場を設置期節的に奉仕する隊員を送り労力の不足を補い
つゝ有りしが一方年と共に各方面に於ける戰果は苦境に陥入り昭和二十年八月十五日終戰
の宣が天皇よりラジオを通じて國民に放送さるゝに至り以後己に軍に在りし各開拓団の団
員を始め団に残りし諸君達の上に苦難は襲い幾歳汗血を注ぎ築き上げし団を抛擲し内地に
引揚ぐるの止むなきに至るかくして軍に在りし団員の苦難亦団に残りし諸君の引揚の途次
に於ける苦難は言語に絶するものありき漸くにして内地に引揚げし団員諸君常に彼の地に
逝きし諸君を偲びつゝ二十又余年こゝに語らい村当局にも懇請満洲開拓之碑を建立深き思
いを之の碑に託さんとするに当り撰文謹書を小生に乞う仍而愚文を草し之を謹書す
昭和四十七年六月十五日
元木曽郷開拓団青年学校講師 拮石和美
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| 所在地 |
岐阜県中津川市山口 山口総合事務所敷地内(旧山口村役場) 中津川市立山口小学校南西 |
| 地図 |
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