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広島HIROSHIMA 


似島原爆犠牲者慰霊碑

 写真  
 概要 建立年月日:1972年11月
  建立者:広島市
   規模:本体高さ106.5cm・横205cm・奥行き116cm
      基礎高さ14.5cm・横850cm・奥行き449.5cm
 2015年1月31日調査
 碑面 (碑表面)慰霊
(碑裏面) 昭和二十年八月六日広島市は人類最初の原子爆弾によって一時の
     うちに二十数万人の死傷者を出した負傷者は各所に避難しここ似島
     にも一万余人におよぶ人人が収容され応急看護の甲斐もなく死亡者
     が続出し混乱のなかとはいえ一部は仮埋葬のままでこの地に眠り悲
     しくも二十有六年の歳月が過ぎた
      昭和四十六年十一月はからずもこの地から遺骨が発見され推定五
     百十七柱を発掘し原爆供養塔に合祀した
      ここに一周年を迎え諸霊の冥福を祈り平和への誓いを新たにして
     この碑を建立する
        昭和四十七年十一月
          広島市長  山田節男
(説明板)  昭和20年8月6日広島市は人類最初の原子爆弾によって、一瞬
     のうちに20数万人の死傷者を出しました。
      ここ似島にも、被爆直後から多くの負傷者が運ばれてきましたが、
     応急看護の甲斐もなく死亡者が続出し、混乱のなかとはいえ、一部は
     仮埋葬のなかでこの地に眠り、悲しくも数十年の歳月が過ぎました。
      昭和46年11月似島中学校農業実習地から推定517体の遺骨
     と推定100体分の骨灰、その他の遺品が発掘されました。
      この慰霊碑は、1年後の昭和47年11月に原爆で亡くなられた御
     霊の冥福を祈り平和への誓いを新たにし、建立されました。
      その後、平成2年9月 旧陸軍馬匹検疫所馬焼却炉跡からスコップ
     300杯分の骨片、骨灰が発掘されました。
      平成16年7月 昭和46年の発掘場所に隣接した場所から、85
     体の遺骨と65点の遺品が発掘されました。
      発掘された遺骨は、平和記念公園内にある原爆供養塔に納骨し、遺
     品は平和記念資料館に保管されています。
所在地 広島県広島市南区似島町南風泊2250 広島市立似島中学校横
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