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戦争記念物アーカイブ
沖縄
OKINAWA
魂魄の塔
写真
概要
建立年月日:1995年6月
建立者:不明
規模:未計測
2012年12月26日調査
碑面
(碑表面) 魂魄
(歌碑表面)和魂と なりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風
翁長助静 詠 潭洞書
(歌碑裏面) 歌意は、和魂「平和でもの柔らかな徳を備えた霊魂」となってねむるおくつき(奥津城=墓)
のみ床の上を潮風が吹き渡っている、ということです。
終戦の翌年の昭和二十一年一月、沖縄の各地に散らばっていた旧真和志村民は自分の村に帰る
予備的措置として、この米須一帯の地に集結させられました。
沖縄戦において、島の南の果てまで追いつめられ、逃げ場を失った日本軍や民間人は、ここ
で夥しい数の戦死者をだしました。 戦死者の屍は目をおうばかりに散在し、放置されたままとな
っていました。
このような惨状をみかねた当時の金城和信真和志村長は村民に呼びかけ、遺骨の収集へと乗り
出しました。そのとき、糸満高校真和志分校校長をされていた翁長助静先生は、生徒を指揮して
遺骨収集の先頭にたつかたわら、この魂魄建立に協力し、表記の歌を墓碑の裏に刻まれました、
この歌はいわば無名の戦死者に捧げられた鎮魂歌となっています。
なお、当時の歌碑は長い年月の流れに風化され、歌の文字もほとんど読取ることができないま
でに失せてしまっていました。そこで、この歌碑はこれに心を痛めた当時の教え子たちが、戦後
五十周年の節目にこの歌碑を建立しました。
平成七年六月
所在地
沖縄県糸満市米須 米須霊域
地図
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