写真 |
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概要 |
建立年月日:1993年2月28日
建立者:高雄市二二八和平紀念碑籌建委員會
規模:碑石高さ449㎝・横153㎝・奥行き155㎝
2013年1月8日調査 |
碑面 |
(碑石正面)高雄市二二八和平紀念碑
(碑石左側面) 高雄市二二八和平紀念碑文
第二次世界大戰結束,日本投降,國民政府於民國三十四年(一
九四五年)十月接收台灣。首任台灣省行政長官陳儀,未深入瞭解民
情,致與地方誤會日深,衝突事件屢生,終於民國三十六年(一九四
七年)二月釀成二二八事件之巨禍,全台自北至南傷亡頗多。本市參
議員、士紳為謀求解決之道,合組事件處理委員会,於三月六日推派
代表六人赴壽山向高雄要塞司令部(司令彭孟緝)請願,唯變生不測
三位請願代表先後遇難於壽山軍事基地,事態擴大,高雄市政府、高
雄火車站均有死傷,誠屬不幸。
民族創傷,亟待療癒。為紀念事件中罹難生靈,高雄市民合力建
碑於此;以天地為心,以山河為鑑,願子子孫孫記取歷史教訓,莫讓
悲劇重演。凡事件受難者及其家屬友朋,皆能卸盡痛苦枷鎖,祛除内
心冤屈鬱結,為各族群之和諧祝禱,更為全人類之共存共榮祈願,以
愛化解猜忌,以愛擁抱彼此,使公義長存吾鄉吾土,永享萬世和平。
高雄市二二八和平紀念碑籌建委員會謹立
中華民國八十二年二月二十八日
(碑石右側面)高雄市二二八和平紀念碑誌
民國三十六年(一九四七年)發生之二二八不幸事件,是台灣歷
史上的傷痕。為彌合其傷痛,本市府會、工商、宗教、學術各界與地
方耆老共體其情,乃有興建和平紀念碑之議,於民國八十年夏成立籌
建委員會。
籌建委員會會就多處地點實施勘査評估,終選定於此風水極佳之
壽山建碑;由旅居義大利雕刻藝術家屠國威先生規畫設計,碑體採義
大利大理石雕砌而成。並藉高雄市二二八和平紀念碑字體之縫合,顯
現「二二八」之主題,底盤以重合之兩圓,象徵和睦圓融,團結永固
再配以八卦型基座及週邊美化工程,形成巍峨景觀,堪稱完美創作;
於八十一年二月二十七日動土開工,八十二年二月二十八日落成。
此地龍蟠虎踞,遠離塵囂。以壽山青翠綠蔭為倚,俯瞰全市,既
有元享寺之暮鼓晨鐘,復有愛河之潺潺溪流,明堂開闊氣象萬千,足
令人緬懷既往,惕勵來茲。
市長吳敦義 謹識
中華民國八十二年二月二十八日
(説明板)高雄市二二八事件紀念碑興建沿革
高雄市政府為撫慰二二八受難者在天之靈
,並弭平受難者家屬心中長期傷痛,共同攜手
走出悲情迎向陽光,於民國八十二年二月二十
八日設置本市二二八和平紀念碑於壽山上。後
因事件史料日漸完備,且紀念碑位置偏遠,腹
地狹小,遂於愛河邊仁愛公園内另建新碑,於
民國九十五年九月二十二日開工,九十五年十
一月初完工,並於同年十一月二十日舉行落成
啓用儀式。至於壽山上原來的紀念碑因具有階
段性歷史意義,仍保留原地。
仁愛公園二二八紀念碑以現代化地景式建
築呈現,主碑體以適合人體工學的角度和高度
,刻載著述説事件始末的碑文,明揭受難者姓
名的紀念牆以青翠的矮樹叢搭配,引導人們進
入紀念活動廣場,象徵著和睦圓融,團結永固
,萬古長青。
高雄市二二八和平紀念碑重建委員會謹立
中華民國九十五年十一月十三日
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碑
面
簡
訳 |
(碑石正面)高雄市二二八和平紀念碑 (碑石左側面)
高雄市二二八和平紀念碑文
第二次世界大戦の終結により日本は降伏し、国民政府は、民国34(1945)年10月
台湾を接収した。初代台湾省行政長官陳儀は、民情への理解に欠け、民衆とのあいだの
誤解は日増しに深まり、衝突事件がしばしば生じた。民国36(1947)年2月、ついに
二二八事件が発生し、台湾各地で甚大な死傷者を出した。本市参議員および士紳は、こ
の解決の道を探るべく、事件処理委員会を組織した。3月6日、代表者六名が寿山の高
雄要塞司令部(司令彭孟緝)に赴き請願を行った。しかし、不測の事態に巻き込まれ、
請願代表のうち三名が相次いで寿山軍事基地で殺害された。事態は、さらに拡大し、不
幸にも高雄市政府、高雄駅で多くの死傷者を出した。
民族の傷は、早急に療治しなければならない。事件により死亡した人々を記念するた
め、高雄市民が協力してここに碑を建立した。天地をもって心とし、山河をもって鏡と
し、子々孫々までこの歴史の教訓を心に刻み、二度と同じ悲劇が繰り返されんこと、そ
してすべての事件の受難者とその家族および友人が苦しみの桎梏から解放され、内心に
不当に蓄積された鬱滞を除去されんことを願う。各族群間の調和、さらに全人類の共存
共栄のために、愛をもってねたみ合いを取り除き、愛をもって相互に抱擁し、もって公
義を永遠にわが郷土にとどめおき、万世平和を祈念す。
高雄市二二八和平紀念碑籌建委員会謹立
中華民国82(1993)年2月28日 (碑石右側面) 高雄市二二八和平紀念碑誌
民国36(1947)年に発生した不幸な二二八事件は、台湾歴史上の傷跡である。その
傷を癒すため、本市府会、工商・宗教・学術各界と地方名士諸氏は、その意を体し、和
平紀念碑の建立を計画し、民国80(1991)年夏、建設準備委員会を設立した。
建設準備委員会は、多くの場所を視察し、風水が極めて佳良な寿山を選んで建碑する
ことに決した。該碑は、イタリア滞在の彫刻芸術家屠国威氏の設計にかかり、イタリア
の大理石を彫ってつくられた。高雄市二二八和平紀念碑という字体を正面に刻み,「二
二八」を主題として体現し、両円の重なり合う台座は、和睦円融を象徴し、本体は、八
卦型を採用して永遠の団結の願いを込めた。そして、碑周辺を整備し、雄大なる景観を
形作り、非のうちどころのないみごとな創作と称されている。民国81(1992)年2月27
日に起工し、1993年2月28日に落成した。
この地は、険要の地で、俗世の喧騒から遠く離れ、寿山の緑したたる緑蔭を背後にお
く。全市内を俯瞰でき、元享寺の暮れ方の太鼓と明け方の鐘が鳴り響き、愛河の雄大な
流れもあり、壮麗で変化に富む。既往を懐かしむため多くの人々がここに足を運ばれる
ことを願う。
市長呉敦義謹識
中華民国82(1993)年2月28日
(説明板)
高雄市二二八事件紀念碑建立沿革
高雄市政府は、二二八受難者の霊を慰め、受難者遺族の長期にわたる心中の痛み取り
除き、ともに手を携えてこの悲しみに太陽の光を注ぎ込むため、民国82(1993)年2
月28日、二二八和平紀念碑を寿山に建てた。その後、事件の史料が次第に公にされ、
かつ紀念碑の位置も市街地より遠く、敷地もまた狭いので、愛河仁愛公園内に新たな紀
念碑を建立する計画がたち、民国95(2006)年9月22日に起工、同年11月初めに竣
工し、同月20日落成式が挙行された。寿山の紀念碑は、段階的な歴史的意義を持つも
のとして、なお原地に保留された。
仁愛公園二二八紀念碑は、現代的な設計方式を採り入れ、主碑は、人体工学的観点に
適合するよう設計され、事件の顛末が刻まれている。受難者の姓名を刻んだ記念壁の周
辺には緑したたる樹木が添えられ、人々を記念広場に導く。それらは、永久の和睦円融
と団結を象徴する。
高雄市二二八和平紀念碑重建委員会謹立
中華民国95(2006)年11月13日 |
所在地 |
高雄市鼓山区 二二八和平公園内 |
地図 |
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