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台湾TAIWAN 


228八堵站罹難員工紀念碑

 写真   
 概要 建立年月日:不明
  建立者:不明
   規模:碑石 高さ376.5㎝・横82㎝・奥行き82㎝

2013年1月11日調査
 碑面 (碑正面上)228
(碑正面下)八堵站罹難員工紀念碑
(碑裏面下)八堵站二二八事件罹難員工紀念碑文

  民國三十四年八月十五日政府收復台灣。
在行政長官陳儀主政下,由於戰後初期百廢待
興,一切民生物質條件不如理想遠甚,台省人
民迎接政府的熱誠步向失望。
  三十六年爆發的二二八事件,三月一日澳
底駐軍搭車,引發民眾不滿,而發生互毆,車
至八堵火車站,軍人誤信火車不再前駛造成誤
會,民眾與軍人衝突愈烈,乃至尋釁。
  三月十一日澳底砲台士兵,包圍八堵火車
站,進站後發生射殺事件,站員五名張水連、
鄧順兼、湯振平、謝清鳳、陳境棋罹難,經勸
阻後以點名方式強制載走當日在站執勤之站長
李丹修、副站長蘇水木、許朝宗、黄清江、總
務周春賢、司事王貴良、廖明華、作業工蘇兩
城、林天助、林輝龍父子。據事後傳出消息已
被槍殺於獅球嶺,許炎山被槍殺於上班途中,
綜合此次事件先後受難者共十七人。
  如今事故情況既以大白,為鑑諸未來今後
企盼避免再度發生此一誤會,並期受難者眷屬
諒解摒除積怨,共同走向安祥、和樂、民主、
自由、充滿愛心與寬恕的社會,謹立碑以誡之
。補遺,受難者蘇水井先生,因戸籍遷移,
 而未及時登錄碑文,受難子孫補壁于后。

        受難者籌建委員會  識
  



(碑正面上)228
(碑正面下)八堵站殉難職員紀念碑
(碑裏面下)
     八堵站二二八事件受難職員紀念碑
 民国34(1945)年8月15日、政府は台湾を接収した。行政長官陳儀の治政下におい
て、戦後初期の荒廃を復興しようするも、あらゆる生活物資が理想には遠くおよばず欠如
し、台湾省人民の政府への期待は失望に向かっていった。
 民国36(1947)年二二八事件が勃発した。民衆の不満を背景にして、3月1 日澳底駐
留軍が乗った汽車内で軍人と民衆との殴り合いが発生し、そのまま汽車は、八堵駅に到着
した。軍人は、汽車が該駅に停車したのは、我々を進ませないためと誤解し、民衆と軍人
との衝突はますます激しさを増し、挑発行為を繰り返すにいたった。
 3月11日澳底砲台兵士は、八堵駅を包囲し、構内に進入して駅員を射殺する事件が発
生し、五名の駅員(張水連、鄧順兼、湯振平、謝清鳳、陳境棋)が犠牲となった。その後、
軍側は、点呼の方式をもって、当日勤務していた駅長李丹修、副駅長蘇水木・許朝宗・黄
清江、総務周春賢、司事王貴良・廖明華、作業員蘇両城・蘇水井・林天助と林輝龍親子を
強制的に連行した。彼らは、獅球嶺で射殺されたことが事後伝えられた。執務中に射殺さ
れた許炎山を含めて、この事件で計17名が受難した。
 今、事件の真実は、白日の下に晒された。将来二度とこのような誤解による事件を起こ
させないことを願い、受難者遺族の積怨が取り除かれることを祈念し、ともに安寧、民主、
自由、愛の心と寛恕の満ちあふれる社会に向かって歩むことを期して謹んでこの碑を立
て、これを誡めることとする。補遺:受難者蘇水井氏は、戸籍の移動により碑文への記録
が間に合わなかった。子孫がその旨をここに記す。
    受難者籌建委員会 識
所在地 基隆市暖暖区八南里八堵路142号 台湾鉄路管理局八堵駅改札口附近
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