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京都KYOTO 


鎮魂碑(舞鶴市)添碑

 写真   添碑1「碑の由来」

  添碑2
 概要 建立年月日:1978年3月
  建立者:鎮魂碑建立の会
   規模:添碑1 高さ93cm・横249cm・奥行き26cm
      添碑2 本体 高さ64cm・横34cm・奥行き23cm
      添碑2 台座 高さ10cm・横74cm・奥行き66cm

鎮魂碑の添碑である。隣には殉職者名記碑がある。

2004年9月26日・2016年2月6日調査
 碑面 (添碑1 表面)碑の由来
明治三十四年舞鶴海軍工廠開廠以来の殉職者の御霊を祀った招魂碑が、
共楽公園山上に建立されたのは大正八年のことであり爾来春秋の彼岸には
盛大な招魂祭が営まれていた。しかしながら、太平洋戦争も熾烈となるに
及んで青銅製の碑は供出され、台座のみが往時をしのばせるにいたった。
戦争末期、舞鶴軍港もしばしば空襲を受けた。中でも昭和二十年七月二十
九日、工廠に投下されたただ一発の爆弾は、約百名の人名を一瞬のうちに
奪い去った。その中には紅顔の動員学徒男女十九名も含まれていた。
憶うだに痛恨の極みである。
被爆の真相がようやく明らかになるに及び
有志相はかり初の空襲殉職者合同慰霊祭を雲門寺において営んだのは昭和
五十二年七月二十九日のこと、その日期せずして鎮魂碑建立の願いが燃え
上がった。
かくして、かつての招魂碑復元の願いと空襲犠牲者ならびに工廠より内外
に派遣され武運つたなく戦没された英霊の碑建立の願いと、これらを打っ
て一丸とした殉職者鎮魂碑を、場所も旧工廠を俯瞰するゆかりの地に礎も
固く建立することとした。
この旧舞鶴海軍工廠殉職者鎮魂碑にはご遺族や近親者、旧工廠関係者ならび
に地元市民の平和への悲願がこめられている。
在天の御霊よ、どうか安らかにお眠りください。

   昭和五十三年三月
  旧舞鶴海軍工廠殉職者
         鎮魂碑建立の会
      
            西山鶴洞謹書
(添碑1 裏面)旧舞鶴海軍工廠殉職者鎮魂碑建立発起者
       名誉会長   立道團造
       建立の会会長 入江重郎
       実行委員長  矢野建之助
       実行委員
        事務局長布川治
        (以下22名)
       協力団体
        旧令共済年金者舞鶴共友会
        中舞鶴自治連合会
        中舞鶴実業界
        中舞鶴老人クラブ連合会
        中舞鶴婦人会 京都市立第二高等学校卒業生有志
        日立造船(株)舞鶴工場従業員一同
        京都師範学校昭和二十三年卒業生
        京都市立洛北実務女学校昭和二十三年卒業生
          昭和五十三年三月
(添碑2 正面)建碑発起人
        井上浅治郎
       請負人
        水田益二
(添碑2 右面)石工 倉本□〔不明〕吉
所在地 京都府京都市舞鶴市余部下 共楽公園内
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