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京都KYOTO 


平和の群像碑

 写真  
 概要 建立年月日:1970年3月
  建立者:不明
   規模:本体 高さ175cm
      台座1段目 高さ5.5cm・横170cm・奥行き110cm
      台座2段目 高さ20cm・横180cm・奥行き119cm
      台座2段目表面銅板 縦13cm・横67cm・奥行き1.5cm
      台座3段目 高さ121cm・横171cm・奥行き113cm
      台座3段目表面銅板レリーフ 縦58 cm・横85cm・奥行き4.5cm
      台座4段目 高さ15.5cm・横190cm・奥行き131cm
      台座5段目 高さ9.5cm・横230cm・奥行き171cm

2016年2月6日調査
 碑面 (台座表面銅板)平和の群像 京都府知事
              蜷川虎三
(台座裏面銅板)引揚記念公園「平和の群像」建設趣意書
 第2次世界大戦の終戦による外地からの引揚業務処理のため舞鶴引揚援護局が設置されたのは、
昭和20年11月24日、以来昭和33年11月15日の閉局まで、664,531人の引揚者と 16,269柱の遺骨と
を受け入れ、32,997人を送還した。ここに明暗と哀歓とをおりまぜて、多大な人員と広大な地域的
規模においていまだかつて例を見ない引揚業務が終了したのである。
 この地に引揚げた人々は、敗戦によって、財貨も社会的基盤も信用もときには肉親すら失い、身
一つでたどりつき、孤独と貧困のうちに人生の再出発をせねばならなかった。われわれは、 二度と
再び戦争を容認し、かかる悲惨事を繰り返してはならない。舞鶴市は昭和44年7月3日、引き揚げに
使用された庁舎 の最後の3棟も撤去されて、今や引き揚げの事実を物語り、往事をしのぶよすがも
なくなっている。
 この援護局最後の庁舎の撤去を期に、多くの引揚者が母国へ の第一歩を印した思い出の地、ここ
舞鶴に記念公園を建設し、「平和の群像」を設立して、この地に帰りえず異境に倒れたいくたの霊に
弔意を表するとともに、世界の平和を願い戦争を永久に放棄する日本国民の悲願をこめて、長く後世
に伝えんとするものである。
   昭和45年3月
    京都府知事 蜷川虎三
    舞鶴市長  佐谷 靖
(台座下部裏面銅板)原型制作者 矢野伴三
             鋳造 金井忠義
             台石 阪下石材店
所在地 京都府舞鶴市字平1584 引揚記念公園
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