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徳島TOKUSHIMA 


予科練習生救助顕彰碑

 写真  
 概要 建立年月日:1991年12月
  建立者:顕彰碑建立実行委員会
   規模:碑石 高さ101.5㎝・横155㎝・厚さ21㎝
      脚  高さ24㎝・横24㎝・奥行き54㎝
      台座 高さ62.5㎝・横300㎝・奥行き199㎝
      慟哭の海(額)縦21㎝・横42㎝・厚さ1㎝
          (絵)縦52㎝・横73㎝・厚さ3㎝
      建立賛助者芳名板 縦60㎝・横42㎝・厚さ3㎝

2017年5月5日調査
 碑面 (碑面)   予科練習生救助顕彰碑
 大東亜戦争(太平洋戦争)の終結を目前に控えた昭和二十年八月二日、宝塚海軍航空隊甲種飛行予科練習生
ら百九名は、杉本海軍大尉指揮の下に鳴門要塞増強工事の任務を帯び鳴門市撫養港を木造機帆船住吉丸で出航
し、鳴門海峡を淡路島阿那賀港にむかっていた。
 正午過ぎ、鳴門市島田島の沖合約二キロにさしかかった時、米軍機二機の空襲を受け船体は大破し、たちま
ちにして五十六名が戦死生存者は鳴門海峡に飛び込み急流に翻弄されながら漂流した(十名は船に残留)。
 これを知った鳴門市粟田・北泊・大島田・室の地元民が敵機の飛び交う海上を漁船で出動し必至の救助の結
果十七名を救出したが、他の二十六名は若い生命をを失い、計八十二名の戦死者が出た。当時、我が国は軍機保護の立場から厳しい報道管制下にあり、この悲惨な出来事は長年埋没されてきた。
 近年、この史実が明らかになり人心がすさみがちになる戦時下において、我が身の危険を顧みず決死の覚悟
で多くの生命を救った人間愛は、世の人びとに深い感銘を与えた。
 ここに、世界の恒久平和を祈念するとともに、慈愛に満ちた勇気ある鳴門市民の行為を後世に永く顕彰する。
    平成三年十二月吉日
      顕彰碑建立実行委員会
所在地 徳島県鳴門市瀬戸町大島田田尻 
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