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沖縄OKINAWA 


日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑

 写真  
 概要 建立年月日:1983年10月25日
  建立者:不明
   規模:碑石高さ126 ㎝・横198 ㎝・厚さ61 ㎝
      台座高さ13 ㎝・横180 ㎝・奥行き140.8 ㎝

2017年7月14日調査
 碑面 (碑面表) 日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑
 第二次世界大戦中(昭和20年)米軍は、この地に捕虜収容所を設け、投降した日本軍将兵約7千人
を収容して厳しい監視下におかれた。一時捕虜の数が増え約3千人がハワイに移送された。
 その時の将兵等はP.W と呼ばれ敗戦の悲哀の中から郷土出身の一兵士により「屋嘉節」が作られた
発祥の地でもある。
 この収容所は1946年(昭和21年2月)閉鎖となり米軍保養所となって、1979年(昭和54年)8月31日
全面返還されるに及んだ。
    昭和58年10月25日竣工
(碑面裏) 屋 嘉 節
               □(剥離)曲 無情節
一、なつかしや沖縄戦場になとい  世間お万人と涙なかち
二、涙ぬり我身や恩納岳登てイ  お万人と共に戦しむじ
三、恩納岳下りて伊芸ぬ村すぎて  今や屋嘉村にゆるで泣ちゆさ
四、あわり屋嘉村ぬ闇ぬ夜のカラシ  親うらん我身ぬ泣かなうちゆみ
五、無蔵や石川村茅ぶきぬ長屋  我身や屋嘉村ぬ砂地まくら
六、心勇みゆる四本入煙草  淋しきや月に流ちいちゆさ
七、今や屋嘉村む枯木又やてん  やがて花咲ゆるしちんあゆさ
所在地 沖縄県国頭郡金武町屋嘉 屋嘉ビーチ前バス停横
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