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沖縄OKINAWA 


慰霊祈和之塔碑

 写真  
 概要 建立年月日:1966年(2009年3月改築・碑板は2010年12月)
  建立者:南風原町
   規模:碑柱左 高さ330 ㎝・横45 ㎝・厚さ25 ㎝
      碑翼左 横165 ㎝・厚さ25 ㎝
      碑石  縦209.5 ㎝・横79.5 ㎝・厚さ19.5 ㎝
      碑板A  縦50.5 ㎝・横41 ㎝・厚さ0.3 ㎝
      土台  高さ44.5 ㎝・横546 ㎝・奥行き536 ㎝
      壁 高さ155 ㎝・壁の総延長5222 ㎝・屋根幅30 ㎝・厚さ26.5 ㎝
      芳名碑板 縦155 ㎝・横104 ㎝
      記録碑 高さ後117 ㎝・高さ前33.5 ㎝・横102 ㎝・奥行き上5.5 ㎝・奥行き下25.5 ㎝
      碑板B  縦78 ㎝・横95 ㎝

2017年7月16日調査
左右に添碑として芳名碑あり
 碑面 (碑石) 慰霊祈和之塔
(碑板A) この塔は
     日露戦没者   三柱
     日支事変大東亜戦没者
     南風原村民   三千八百二十五柱
     無名氏     三千七百余柱
     を合祀してある
         一九六六年六月建立
         二〇〇九年三月改築
(碑板B)     南風原町平和の礎
      去る沖縄戦において、南風原町では人口の約四割にあたる人々の尊い命が失われまし
     た。そのため、南風原町の歴史は沖縄戦を抜きにして語ることはできません。それほど
     に戦争が残した爪痕は大きく深いものです。
      本町は、これまで平和に関する取り組みに力を注いできました。その中のひとつとし
     て一九九〇(平成二)年には、全国に先駆けて沖縄陸軍病院南風原壕群を戦争遺跡とし
     て町の文化財(史跡)に指定し、二〇〇七(平成一九)年からは一般公開して、戦争の
     悲惨さや命の尊さを歴史資料をとおして考え、学ぶことができるようになっています。
      戦前、この場所には忠魂碑がありましたが、一九六六(昭和四一)年に多くの戦没者
     を慰霊することを目的として、慰霊祈和の塔が建立されました。その後、町道拡幅に伴
     って二〇〇九(平成二一)年に塔の改修を行っています。
      戦後六五年になる今年、町内出身戦没者一人ひとりの名前を刻むことで、戦没者のご
     冥福をお祈りするとともに、負の歴史を正しく後世へと継承し、再び戦争という人類最
     大のあやまちを繰り返すことがないように、世界の恒久平和を念願して、ここに南風原
     町平和の礎を建立します。
                      二〇一〇(平成二二)一二月南風原町
     一、刻銘対象者  南風原町(当時は村)出身の戦没者で、一九四五年三月二六日にア
             メリカを中心とする連合軍が慶良間諸島に上陸した時から、同年九月
             七日の降伏文書調印の日(沖縄戦の公式終結)までに亡くなった人、
             また、満州事変にはじまる十五年戦争の期間中に県内外において戦争
             が原因で死亡した人、さらに、一九四五年九月七日以降、県内外にお
             いて戦争が原因でおおむね一年以内に死亡した人。
     二、刻銘方法  字ごとに氏名を刻銘
     三、刻銘人数  四,四八一名
     四、建立場所  南風原町字兼城七六五番地
所在地 沖縄県島尻郡南風原町兼城七六五番地 南風原小学校付近
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