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イタリアITALY 


マルツァボット町カプラーラ・ディ・ソープラ(上カプラーラ)集落虐殺現場犠牲者慰霊碑

 写真  
 概要 建立年月日:1985年4月8日
  建立者:アスタルディ社、サン・ニコロ・ディ・グリアーラ教区など
   規模:キリスト像 高さ156cm・厚さ8cm
      左側石碑 高さ83cm・横112cm・厚さ6cm
      右側石碑 高さ49cm・横87cm・厚さ6cm
      慰霊碑 全高514cm・横1180cm・厚さ50cm
      ミサ用祭壇 高さ82cm
      祭壇天板 縦51cm・横172cm・厚さ9cm

2017年8月18日調査
碑面 (左側石碑)QUI
      DOVE SORGEVA L'ANTICO BORGO
      E - FINO AL 1882 -
      IL "CUORE COMUNITATIVO"
      DI CAPRARA SOPRA PANICO
      FU SPARSO SANGUE INNOCENTE
      IL 29 SETTEMBRE 1944.

         IN MEMORIA
         D. ILARIO MACCHIAVELLI
         PIETRO ZANINI
         M.A.S.C.I. COMUNITA' R.S.BO
         POSERO
         8 APRIRE 1985 - LUNEDI' DELL' ANGELO
(右側碑石)LAVORI ESEGUTI GRATUITAMENTE DA:
       DITTA ASTALDI
       MO.TE.M.
       CAVE DUE TORRI
       FANTIN ARRIGO E BRUNO
       PAROCCHIA DI S.NICOLO' DI GUGLIARA
    
     CRISTO DI LUCLANO NENZIONI
     REALIZZATO IN FERRO DA D.I.MACCHIAVELLI
 碑面簡訳 (左側石碑)ここにかつて古い集落があった。
      1882年まではカプラーラ・ ソプラ・パニコのコミュニティの中心だった。
      この地に1944年9月27日無実(の人々)の血がまき散らされた。
        それを偲んでD・イラーリオ・マッキャベッリ ピエトロ・ザニーニ 
        成人カトリック教会スカウト運動協会ボローニャ支部設置
        1985年4月8日天使の月曜日(イースター・マンデー)

(右側石碑)この作品は、アスタルディ社、MO.TE.M.社、
      カーヴェ・ドゥ エ・トーリ社、ファンティン・アリーゴと
      ブルーノ、サン・ニコ ロ・ディ・グリアーラ教区によって無償で製作された。
    ルチアー ノ・ネンツィオーニのキリスト像でD・I・マッキャベッリが鉄で造り直した。

(注1)説明板によれば、 1944年9月29日ドイツ兵たちがカプラーラ・ディ・ソプラのある家のキッチンに40人ほどの人を押し込め、そこに窓から手榴弾を投げ込んだり、機関銃を乱射し殺害した。生き残った者はほ とんどいなかった。なぜなら、外の畑に逃げようとした人達も、彼らに追いかけられ、殺されたからである。その後、家は爆破され、その一部が亡くなった死体の上に崩れ落ちた。いくつかの家族が全滅し、生き残った人々は、このカプラーラ・ディ・ソプラ で焼け爛れた一群の子供と女性の死体を目にすることになった。 遺体は大きな穴を掘り、そこに埋められることとなった。
(注2)カプラーラ地区一帯でナチファシストによる被害者は、およそ60名に及んだという。
(注3)カプラーラ・ディ・ソプラは食堂と雑貨屋のみしかない小さな集落であった。
所在地 イタリア エミリア=ロマーニャ州ボローニャ県マルツァボット町モンテ・ソーレ山中 旧上カプラーラ集落
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