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イタリアITALY 


ボロヴニツア強制収容所犠牲者追悼碑板

 写真  
 概要 建立年月日:2008年2月10日
  建立者:不明
   規模:碑石 縦83 ㎝・横52 ㎝・厚さ2 ㎝

 2019年8月5日調査
 碑面 BORÒVNICA

ABBIAMO RICORDI NOSTRI
E RICORDI DI SECONDA MANO
CIOE' NON VISSUTI IN PRIMA PERSONA
MA CHE ABBIAMO ADOTTATO
DOPO AVERLI SENTITI
TANTE VOLTE IN FAMIGLIA.
DAVANTI AGLI OCCHI DELLA MIA MEMORIA
INFATTI, AFFAMATA E LACERA SI SNODA
LA PROCESSIONE DI DEPORTATI
BOROVNICA - ESTATE '45 -
STELLE ROSSE - FILO SPINATO.
SONO IO CHE MI ACQUATTO FRA LE STOPPIE
PER BUTTARE IL PANE AI PRIGIONIERI
IO A SOFFRIRE LE VOCI
CHE IMPLORANO DA BERE
IO LA DONNA CHE SI STACCA DAL GRUPPO
UN POCO CORRENDO UN POCO INCIAMPANDO
CREDENDO DI RICONOSCERE IL SUO UOMO
IN OGNUNO DI QUEI VISI MACILENTI.
IO.IO. NON MIA MADRE CHE ADESSO E' MORTA.
CON TUTTI I SUOI RICORDI
CHE SON DIVENTATI MIEI.

Annamaria Muiesan Gaspari
1994

10.2.2008
碑面簡訳 ボロヴニツァ
我々には、我々自身の記憶と受け継がれた記憶がある。
それは、当事者として生きた記憶ではない。ただ、家族のなかで何度も何度も聞かされた後に取り入れられた記憶である。
実際、私の記憶の眼前に飢えて傷ついた強制連行者の列が曲がりくねっている。
ボロヴニツァ1945年の夏、赤い星、鉄条網、刈り穂の間にしゃがんだのは私だった。
捕虜たちにパンを投げようとしたのだ。
水を求める声に苦しんだのは私だった。
私は女だ。集団から離れて少し走りながら、少し躓きながら、その痩せた顔の中から自分のタイプの男を捜そうとしていた。
私は私。今はもう亡くなった私の母ではない。
ただ、彼女の記憶はすべて私とともにある。
それらはすべて私のものとなっている。
アンナマリア・ウイエザン・ガスパーリ 1994年
             2008年2月10日
所在地 イタリア フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ市バゾヴィッツァ
バゾヴィッツァのホイバFOIBA DI BASOVIZZA・国立慰霊所
 地図  


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