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沖縄OKINAWA 


慰霊塔添碑(備瀬)

 写真  
 概要 建立年月日:2000年6月23日
  建立者:備瀬区民一同 慰霊塔建設委員会
   規模:碑石 高さ71㎝・横150㎝・厚さ7㎝
      脚右 高さ21㎝・横15㎝・奥行き21㎝
      脚左 高さ21㎝・横15㎝・奥行き21㎝

2020年11月21日調査
慰霊塔(備瀬)の添碑
 碑面 (碑石正面)碑文
      日本は昭和六年九月十八日満州事変をきっかけに十五年戦争に突入した。
      わけても第二次世界大戦末期、郷土沖縄で唯一の地上戦が展開され骨肉が飛び、血がほ
     とばしる地獄絵と化し、軍民問わず、あまたの尊き人命が失われた
      硝煙まだ消えやらぬ昭和二五年、戦争で散華し、無念の最後を遂げた区出身者の「御霊
     安かれ」と熱き祈りをこめ、区民の総力を結集して慰霊塔が建立された。
      以来五十年の歳月が流れ、施設が風化、老朽化し再建の止むなきに至った。数多くの同
     期の友を失い、自ら九死に一生を得た篤志家より再建に向け高額のご寄付の申し出があり、
     それを契機に再建への気運が高まり、区民の総意で建設委員会が組織され、実現を期して
     取り組む事になった。
      本事業に対し関係者はもとより区内外から絶大な賛同を得て、ここ景勝の地に再建する
     ことができた。
      「平和で豊かな今日」があることは、散華した御霊の上に築かれている事を銘記し、二
     度と再びこのような惨禍を起こさないことを決意し、未来永劫に「反戦平和の砦」を心に
     刻むことを誓う。
     御霊よ 永久に静まれ 温かき故郷の空で

    西暦二〇〇〇年(平成十二年)七月吉日
        備瀬区民一同
        慰霊塔建設委員会

              記
   西暦一九五〇年(昭和二五年)五月三〇日 建立 一二五柱
   西暦二〇〇〇年(平成十二年)六月二三日 再建 一七七柱
所在地 沖縄県国頭郡本部町備瀬 県道114号沿いホテルオリオンモトブリゾート&スパ向い側「平和の砦」内
 地図  


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