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戦争記念物アーカイブ
北海道
HOKKAIDO
伊達市平和の鐘
写真
概要
建立年月日:2007年11月17日(鐘自体は1880年)
建立者:平和の鐘建立実行委員会
規模:鐘楼 高さ302㎝
鐘楼下部本体 高さ127㎝・横100㎝・奥行き130㎝
2021年7月23日調査
碑面
(正面)平和の鐘
(左面) 鐘の由来
開拓の鐘
明治十三年(一八八〇年)北海道開拓をすすめる鉄道が敷設され
た際、列車運行の安全警鐘として米国より輸入される。
昭和二十年(一九四五年)札幌鉄道病院有珠分院に移管される。
救いの鐘
昭和二十年(一九四五年)七月廿四日の伊達市街の空襲に続き、
翌十五日有珠の鉄道病院が空襲を受けた際、入院患者の避難誘導の
ため鳴らされて多くの命を救う。
祈りの鐘
昭和三十七年(一九六二年)虻田カトリック教会(洞爺湖町)が
譲り受け、以来十年間地域の時報として親しまれる。
昭和六十二年(一九八七年)伊達市教育委員会へ寄贈される。
平和の鐘
平成十九年(二〇〇七年)多くの市民、団体、事業者の浄財によ
り、凄惨な戦争の記憶を風化させることなく永遠に平和を希求する
「鐘」として、この地に建立される。
(右面) 建立の趣旨
昭和二十年(一九四五年)七月十四日、伊達町(当時)
は米軍艦載機による空襲を受け、国鉄稀府駅・伊達紋別駅・
伊達赤十字病院で二十一名の犠牲者と多数の負傷者が出る
惨事となりました。
この鐘は米国製とみられ、駅の釣り鐘として北海道開拓
のあゆみを見守ってきましたが、奇しくも有珠の鉄道病院
で悲惨な伊達空襲を目の当たりにすることになりました。
北海道開拓と戦争の歴史の生き証人として価値ある歴史
遺産を「平和の鐘」として後世に伝え、その鐘の響きを平
和を敬う伊達市民の心として世界に発信します。
平成十九年(二〇〇七年)十一月十七日
建立 平和の鐘建立実行委員会
題字 佐々木錦空 書
撰文 泉隆
所在地
北海道伊達市網代町 フロンティア街道と北の湘南街道(南大通)交差点付近
地図
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研究成果
中京大学 社会科学研究所
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