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沖縄OKINAWA 


屋富祖芳魂之碑

 写真  
 概要 建立年月日:1964年12月建立、1990年5月改修 歌碑2008年建立
  建立者:屋富祖遺族会等
   規模:碑石 高さ126㎝・横40㎝・奥行き18㎝
      台座一段目 高さ15㎝・横71㎝・奥行き52㎝
      台座二段目 高さ78㎝・横133㎝・奥行き133㎝
      台座正面碑板 高さ45㎝・横80㎝・厚さ1㎝
      台座左面碑板 高さ45㎝・横80㎝・厚さ1㎝
      台座右面碑板 高さ45㎝・横80㎝・厚さ1㎝
      台座三段目 高さ25㎝・横202㎝・奥行き202㎝
      追悼歌碑 高さ150㎝・横120㎝・奥行き40㎝
       正面碑板 縦65㎝・横110㎝・厚さ1㎝
       裏面碑板 高さ75㎝・横75㎝・厚さ1㎝

※碑本体の記述によれば建立は昭和39年(1964年)だが、添碑にあたる歌碑の記載によれば1954年の建立となっている。

2022年3月24日調査
 碑面 (碑石正面)芳魂之碑
(碑石裏面)芳ばしく咲き香う梯梧樹も
      散りてその名を惜しまなん
         歌碑 宮城盛徳
         揮毫 松田 初
   
           昭和39年12月竣工
           平成2年5月 改修
(碑石右面)   石碑寄贈 平成元年六月
          在ブラジル  宮城善吉様
(台座正面碑板)
軍人之部     知念 次良  軍属之部
松田 良平   宮城 恭清  
山城 興吉   知念 親助   知念 加目
宮城 加那   比嘉 加目   松田 次英
宮城 真吉   宮城 保二   宮城 嘉誠
宮里 元吉   松島 朝清   宮城 亀助
知念嘉明一   比嘉 加真   松田 真幸
宮城 良信   宮城 加那   又吉 広仁
仲西 正一   宮城 正男   宮城 保吉
安和 良雄   松田 文吉   宮城 三郎
宮城 芳雄   西原 昭正   摩文仁安栄
宮城 東英   山城 興仁   宮城 清子
宮城 盛吉   松田 盛吉   玉城ツル子
宮城 英昌   宮城 亀吉   知念キク子
宮里 元吉   古波蔵福文   知念ヨシ江
知念 義鶴   宮城 英仁
宮城  清   松田 真盛
宮城 善孝   宮城 嘉盛  学徒隊之部
比嘉 高蒲   玉城 加目
知念 安吉   前田 英利   仲西 昌恒
山城 興善   宮城辰次郎
名護 朝慶   仲西 次真  一般之部
比嘉 亀助   仲里 祥徳
儀間 三良   宮城 正助   知念 次志
名護 朝惟   宮城 正順   知念 ウサ
(台座左面碑板)
一般之部
知念ウシャ   仲西 盛吉   松島  松
〃  文子   〃 ウシャ   〃  吉子
〃 盛次郎   宮城 仁亀   松島 朝松
〃  芳子   〃  静江   〃  ツル
〃  盛徳   〃  ツル   比嘉 真吉
宮城 恭安   〃   博   〃  カマ
〃  カナ   比嘉 ツル   松田 次真
〃  カナ   〃 ヨシ子   宮城 盛徳
知念 徳利   〃  茂雄   〃 ミツ子
〃  ツル   宮城 愛子   〃  加那
〃  ヨシ   〃  東徳   〃 ヨシ子
知念 太郎   宮城 宇仕   松田 真栄
〃  ツル   〃  カマ   〃  真恕
知念 安居   〃   清   〃  カメ
〃  ウシ   知念  蒲   比嘉 ウシ
〃  次郎   宮城 次郎   牧志 慎重
宮城 次助   上間 カメ   前田 英順
〃 マカタ   宮城 嘉徳   〃  カナ
宮城 加那   〃  千代   仲里 ツル
〃  ウト   〃 ヨシ子   玉城ツル子
仲西 次郎   名護 三郎   〃 ヨシ子
〃  昌盛   名嘉真朝清   玉城 武太
〃  盛徳   山城 加麻   〃  カマ
〃  ツル   〃  初子
(台座右面碑板)
一般之部     知念 武清   松田 嘉真
安和 良正   〃 カマド   〃  ツル
〃  良時   古波蔵ミヨ   〃  順子
名護 朝勤   〃  良一   玉城 カマ
名護 朝英   知念カマド   〃  ツル
〃  ウト   〃  ツル   〃  春子
宮城 次良   宮城 英長   〃 スミ子
〃  ゴズ   松田 カマ   知念 アキ
山城 マカ   松田 三郎   古波蔵識栄
〃  静子   高江洲カナ   〃  ウシ
赤嶺 嘉麻   玉城 ナビ   〃  誠吉
仲村  蒲   名護 朝会   仲里 祥保
知念  秋   〃  朝正   〃  ウト
〃  敏徳   名護 ツル   仲里 ツル
〃  勝弘   宮城ウタル   〃  祥正
宮城 英恭   宮里 朝次   宮城 カメ
松田 カマ   〃  ウシ   宮里 元盛
〃  清子   金城 三良   〃  妙子
〃  澄子   摩文仁カマド  〃  敏子
玉城  秋   名護 ナベ   〃  元徳
〃  カマ   又吉カマド   山城 静江
宮城 ウシ   〃  幸徳   宮城 カマ
山城 カマ   玉城 嘉真   合祀弐百弐柱
(台座手前添碑)
 寄贈 平成二年八月吉日
    宮城 加清

(追悼歌碑)
屋富祖戦没者追悼歌碑
  シラシハイカーブシ
 一、白瀬走川節
  イク ユ アワ  ウマンチュ トウム
   ○戦さ世ぬ哀り  御万人とう共に
     ウ ス   チム ワシ
     恩み染みてい肝に 忘りぐりしや
  ウンナブシ
 二、恩納節
   トウワ ワシ   イク ユ ウム
   ○永久に忘らりみ 戦さ世ぬ思ゐ
     イクグシ トウシ ウヒ タ
     一九五四ぬ年に 御碑ゆ建ていてい
   チンブシ
 三、金武節
    ルクグワチ  ウムカジ
   ○六月ゆなりば 面影やまさてい
     ムム マチ シヌ
     百々とう いちまでいん祀てい偲ぶ
  ムトウカデイクブシ
 四、本嘉手久節
   ユルジエ ヌク ニヒャクミハシラ
   ○万代世に残る 二〇三柱ぬ
     ミタマ      カミ マチ
     御霊いちまでいん 神とう祀てい
   ビヌチブシ
 五、辺野喜節
   イク ユ シジ  ククルヤシヤシ 
  ○戦さ世ん過てい 心安々とう
      エザカ   ウニ
    みるく世栄ゐぬ 御願げしやびら
(追悼歌碑裏碑板) 
    屋富祖戦没者追悼歌碑について
 芳野之碑は、支那事変及び第二次世界大戦で戦没
された字出身の軍人、軍属、学徒隊、防衛隊及び一般
字民、203柱の御霊を祀るべく1954年12月に建立され
ました。
 以来毎年沖縄戦終戦の日6月23日に区の主催で
御霊のご冥福をお祈りする慰霊祭を行っております。
 この追悼歌碑は、終戦50年余の経過を得てあの忌まわ
しい沖縄戦の体験が風化されつつある中、戦没された御
霊の慰霊と世界の恒久平和を願う戦没者遺家族並びに
区民の要望に応えて1996年6月に宮城盛徳氏が琉球
古典音楽(5曲)にのせて慰霊祭の追悼歌を作詞された
ものです。
 慰霊の日6月23日に御霊の御前で「戦世(いくさゆ)(しの)びみ
るく()」を願って毎年演奏されます。
        建立年月日 西暦2008年6月23日
            屋富祖遺族会
所在地 沖縄県浦添市屋富祖2-25 屋富祖の御願所敷地内
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