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静岡SHIZUOKA 


日露戦役忠魂碑(袋井市)

 写真   
 概要 建立年月日:1907年5月
  建立者:笠西村在郷軍人会
   規模:碑石 高さ292.5 ㎝・横142 ㎝・厚さ13 ㎝
      台座 高さ16 ㎝・横185 ㎝・奥行き72 ㎝
      篆額 縦43 ㎝・横105 ㎝

付近には、征清討伐忠魂碑袋井市南地区各線駅戦没者芳名碑忠霊碑建立の主旨がある。
 2014年11月8日調査
 碑面 (碑表面) 忠魂碑
           第三師団長陸軍中将従四位勲二等功四級松永正敏篆額
         笠西十二士碑
     遠州磐田郡笠西村戸六百五十二居民三千三百七十九口明治卅七八年
     与露国交戦赴之者八十二名其戦死若病歿者十二名是役自本郡赴者不
     鮮而死者之多本村為最焉而其人半隷決死隊猗歟烈矣和成之次年従軍
     諸子胥謀欲樹碑以伝以余為郷人来謁文乃序述十二士姓名事略十二士
     者誰故陸軍歩兵曹長大橋平太郎及兵士高橋邦平早川要助鈴木仙吉池
     田孫六戸塚政一井谷米吉井谷利一鈴木乙吉窪野惣平荒木秋作野田仙
     吉也大橋君先是赴征清役平壌之戦被創叙勲八等賜金退営卅七年又従
     征歴遼陽沙河之戦明年三月二日戦死奉天矣高橋君卅七年従征転戦金
     州南山得利寺蓋平諸所遼陽之戦隷秋山決死隊八月卅一日豨突首山堡
     奮戦死之早川君卅七年従征南山之戦被創帰創癒復赴之明年一月六日
     戦死孤家矣鈴木仙吉君卅七年従征転戦金州南山得利寺蓋平諸所突進
     首山堡同高橋君死之池田君卅七年従得利寺之戦蒙創帰創癒再赴之十
     月十二日奮戦沙河死之戸塚君卅七年従征転戦金州南山得利寺蓋平遼
     陽沙河諸所明年十月廿日病歿于軍矣井谷米吉君先是入営会有征清役
     賜金帰休卅七年又従征経遼陽沙河諸戦明年三月九日戦死渾河矣井谷
     利一君卅七年従征経沙河黒溝台奉天諸戦明年十月廿九日病歿于軍矣
     鈴木乙吉君卅七年従征歴遼陽沙河之戦明年三月十日戦死奉天矣窪野
     幷君卅七年従征歴黒溝台奉天之戦十月廿日病歿于軍矣荒木君卅八年
     従征八月六日於高力屯架電線溺死清水河矣野田君卅八年従征七月廿
     五日病歿于軍矣其死時以殊勲叙勲七等功七級者大橋君叙勲八等功七
     級者高橋早川池田鈴木仙吉乙吉戸塚窪野及井谷利一八君叙勲八等者
     井谷野田荒木三君嗚呼是役曠古無前之大戦而其捷敗寔関国家之安危
     焉然而竟大捷者雖籌略得宜所致其源則非以兵士是也故碑焉伝之俾後
     昆永有所鑑云銘曰
       樹茲峻碣  以表忠烈  姓名芬列  不磨不滅
               □□((破損))院議員文学士正四位勲三等 岡田良平撰
                          判事従五位勲五等 川邨応心書
                                  田代吉太郎刻
(碑裏面)   建設費篤志寄附者
     金三円
     山本与三次(以下5名)
    一金三十円
     大谷純教
    一金二十円
     山名天理協会
    一金十五円
     安間恭義
    一金十円
     戸倉実太郎(以下4名)
    一金七円
    一木元角
    一金五円
     沼野万平(以下11名)
    一金四円
     早川喜八(以下4名)
    一金三円五十銭
     山本圭一郎(以下2名)
    一金三円
     小沢良久(以下22名)
    一金二円五十銭
     森下太平(以下7名)
    一金二円
     豊田儀一郎(以下24名)
    一金一円八十銭
     松田佐平(以下4名)
    一金一円五十銭
     寺田喜七(以下13名)
    一金一円
     ((判読困難))村植治郎(以下86名)

    発起人
     笠西村在郷軍人会
     会長 平出伊太郎
     副会長大橋市郎
     幹事 松浦太吉(以下3名)
     評議員恩田伍平(以下9名)
     会員 寺井伝吉(以下48名)
      明治四十丁未年五月建之
            一 金四十円山主少僧正大谷純教
所在地 静岡県袋井市豊沢2777 法多山尊永寺
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