写真 |

↑写真中央の碑  |
概要 |
建立年月日:1989年7月14日
建立者:第二次世界大戦函館空襲を記録する会
規模:碑石 高さ181㎝・横92㎝・厚さ19㎝
脚右 高さ19㎝・横13.5㎝・奥行き45.5㎝
脚左 高さ19㎝・横13.7㎝・奥行き45.5㎝
台座上台 高さ15㎝・横136㎝・奥行き76㎝
台座中台 高さ33㎝・横122㎝・奥行き65.5㎝
台座下台 高さ16.5㎝・横136.5㎝・奥行き75.2㎝
付近には、第二次世界大戦函館空襲戦災跡地戦災者英文慰霊碑、北海道空襲による津軽海峡、噴火湾、陸奥湾船舶犠牲者の記念碑、札幌鉄道郵便局函館郵便室職員殉職者慰霊碑、米軍犠牲者慰霊碑が存在する。
2018年6月21日調査 |
碑面 |
(碑石正面)第二次世界大戦
函館空襲戦災跡地
戦災者慰霊碑
第2次世界大戦末期昭和20年(1945)7月14・15の両日アメリカ艦隊機動部
隊の戦闘爆撃機グラマン・コルセア50余機により主要攻撃目標であった函館
港内や津軽海峡航行中の船舶は爆撃を受けて85隻が沈没や破壊され多数の犠
牲者が出ました。市内では駒止町、天神町、旅籠町、船見町、鍛冶町、松風町、
若松町、大森町、海岸町等の民家が空襲を受け、家屋169棟、戸数384戸余を
焼失。破壊家屋も多数にのぼり、多くの死傷者を出しました。特に駒止町、天
神町、旅籠町、船見町、鍛冶町地区は函館空襲最大の戦災地で老人と子ども等
23人が爆弾や機銃掃射を浴びて犠牲者となり、また多数の負傷者を出し384戸
が全半焼しました。この戦争・空襲による悲惨な歴史的事実を想起して函館に
おける空襲犠牲者の霊を慰め、軍縮を希求し、平和を守り抜く誓いを堅持いた
したく、有志者一同が称名寺住職須藤仙師の御高配を頂いて、戦災跡地を見下ろ
すこの境内に記念碑を建立しました。
(碑石裏面)この碑は日本国憲法第九条「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠
実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛
争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」条文を遵守し 真の平
和を願う536名の浄財によって建立されました。
戦災者氏名
西部地区方面
伊藤ミネ 刈田利雄 蠣崎ユキ 木村武弘 佐藤タケヨ 工藤平次郎
小池長五郎 伊藤 【小泉※】 北村
高橋染物屋 高橋摂司息 長谷部 長谷部 息 長谷部 息
釣 一郎 釣 妻 釣 母 米澤チヤ母 米澤啓子娘
米澤千鶴子娘 米澤千恵子娘 高橋
戦災者の証言により記載しました
建立協力者発起人
須藤隆仙 福島憲俊 藤島明子 福沢昭然 加賀栄治 望月一正
永井康人 島 余慶 藤原恵明 黒崎敏雄 浅利政俊 東 吉雄
伊藤 勇 木村匡武次 松住竹松 小山千代 菅 ミサ 谷 ヒサ
剣持富弥
平成元年(一九八九)七月十四日
第二次世界大戦函館空襲を記録する会
施工者 ㈲黒崎石材店
〔※「小泉」は削除されたものと思われる。〕 |
所在地 |
北海道函館市船見町18-14 浄土宗称名寺境内 |
地図 |
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