本文へスキップ

 

     

北海道HOKKAIDO 


北海道空襲による津軽海峡、噴火湾、陸奥湾船舶犠牲者の記念碑

 写真  
 概要 建立年月日:2011年8月15日
  建立者:函館空襲を記録する会
   規模:碑板 縦76㎝・横60.5㎝・厚さ5㎝

付近には、第二次世界大戦函館空襲戦災跡地戦災者慰霊碑第二次世界大戦函館空襲戦災跡地戦災者英文慰霊碑札幌鉄道郵便局函館郵便室職員殉職者慰霊碑米軍犠牲者慰霊碑が存在する。

2018年6月21日調査
 碑面 (碑石正面) 北海道空襲による津軽海峡、噴火湾、陸奥湾船舶犠牲者の碑
       1945年7月14日・15日、第2次世界大戦末期に函館・青森を中心とした津
      軽海峡、噴火湾、陸奥湾において、米軍機の攻撃により艦艇・汽船・機帆船
      上で犠牲となられた人は多い。その犠牲者を悼み、艦艇名・汽船名・機帆船
      名と犠牲者数を刻み、その歴史を後世に伝えたい。以下はその船名と犠牲者
      数である。
       翔鳳丸48人、飛鸞丸32人、津軽丸134人、松前丸28人、第二青函丸26人、
      第三青函丸71人、第四青函丸54人、第六青函丸37人、花咲丸1人、乾国丸1
      人、第二北拓丸2人、興洋丸1人、永徳丸1人、俊丸4人、第六十七忠洋丸1人、
      第四十三北興丸1人、平野丸5人、神栄丸1人、第三星丸3人、明神丸1人、第
      二神威丸1人、鷹丸3人、温州丸3人、下総丸3人、大征丸7人、千鳥丸(第十
      三大栄丸か)1人、第十一孝栄丸2人、永保丸26人、第六日鮮丸35人、第一
      菊丸1人、正〓(目+右)丸1人、幸丸13人、第四十三忠洋丸1人、第九多聞丸1人、
      阿波丸5人、興隆丸1人。
       以下は、海軍艦艇と特設艦艇である。橘140人、柳21人、第二百十五号海
      防艦11人、第二百十九海防艦194人、第二十四号掃海艇153人、豊国丸135人、
      第十八栄徳丸2人、朝洋丸2人以上、第二朝洋丸12人、第二号明治丸6人以上、
      千歳丸7人、黒崎2人、第三京仁丸7人以上。
       空襲から66年、この海域に現在も津軽丸、第三青函丸、第四青函丸、第
      二百十九号海防艦などが海底で船体を横たえ、多数の犠牲者が静かに眠って
      いる。
       犠牲者の冥福を祈り、日本国憲法に則り、これを堅持し永遠の世界平和を
      守り抜く決意を、心に込めて誓いの碑とした。
                         2011年8月15日
                             函館空襲を記録する会
所在地 北海道函館市船見町18-14 浄土宗称名寺境内
 地図  

コントロールキーを押しながらマウススクロールで地図の拡大縮小、地図左下のアイコンで地図と航空写真の切り替えができます。