中京大学 工学部 機械システム工学科 木野研究室KINO ROBOTICS LABORATORY

へっぽこ教授のイギリス留学体験記
ノッティンガム縁側日記

海外研修のため,一年間イギリスで生活することになった私.準備の苦労話や,イギリス生活でのトラブルなどを綴ってみました.

一部の読者から「ノッティンガムのバイブル」とも評されたノッティンガム縁側日記ですが、
このたび、大幅に加筆修正して、「ガンオタ教授のイギリス留学漂流記(kindle版)」と題しまして、
電子書籍化いたしました。ボリュームは旧・ノッティンガム縁側日記の2倍にもせまる勢いです。

現時点では、Android、ipad、iphone、ipodなどのスマホやタブレットPC、アマゾンの発売するkindleなどで読むことが出来ます。また、サンプル(お試し版)は無料で読むことが可能です。
通常の紙書籍で約280ページの分量(約12万字)ですが、価格は280円とお買い得価格です。

イギリスへの留学を考えている一般の方や、家族を連れてサバティカルを考えている研究者の方、
ノッティンガム大学への留学を考えている方は、是非ともご一読ください。

ガンオタ教授のイギリス留学漂流記(kindle版)


滞在したのは,イギリス・ノッティンガムという土地.ロビンフッドの伝説で 有名な町です.


(ノッティンガム城近くのロビンフッドの像)

【以下、サンプルです。ほんの一部をご紹介します。】

第1章 プレリュード留学編 (201X年4月20日~201Y年4月5日)より

【201X年7月18日】

 仕事から帰宅し晩酌していると、嫁がさかなクンの話題を振ってきた。我が家では、さかなクンの評価が高い。話の流れで、嫁が

「さかなクンって、大学の客員教授なんだって~!凄いねぇ~!」

 と言い出す。確かにさかなクンは凄い。それは認める。私の尊敬する三大・芸能人の一人だ。ちなみに、その三大・芸能人というのは、さかなクン、江頭2:50先生、そしてガッツ石松大先生である。ただし、客員教授についてはどうだろう?凄いのだろうか?

「(客員教授が)凄いか凄くないかは知らんが、私もイギリスでは客員教授だけど…。名前だけで給料も何も貰えない、お客さんのことだよ。」

 と言うと、嫁はなんだか寂しそうな顔をして、部屋を出ていった。まるで死んだサンマのような目をしていた。尊敬する「さかなクン」と普段から家でパンツ一丁で飲んだくれて、ガンプラ作っているガンオタが同じ「客員教授」で、残念だったらしい。

第2章 起動イギリス編 (201X年4月6日~201Y年6月29日)より

【201Y年4月26日:オレ出撃す】

 子供達は新しいフラットが気に入ったのか、朝から部屋の中を走り回り大きな声を出して、はしゃいでいる。子供が朝から騒いでいるので、

「静かにしなさい!」

 と怒っていると、ドアをゴンゴンとノックする音。いきなり来客である。ドアを開けると、イギリス人の女子大生らしき人が二人立っている。彼女達は、我々の隣の部屋に住んでいる学生で、

「子供とそれを怒る親(私)の声がうるさくて、勉強できない」

 と苦情を言いに来たのだ。なんでも、もうすぐ大学で大事な試験があるから、朝から勉強しているらしい。ここは「お涙ちょうだい作戦」しかない。ワザと必要以上に英語の発音をジャパニーズイングリッシュに変え、

「パードンミー?」
「ソーリー」

 などと、「私、英語、分かりませ~ん」的な言い方と悲壮感漂う顔をして、この難局をしのぐ。女子大生も、ため息交じりに「仕方ないわね」的な顔をする。フフフ…私の勝ちだ。意外と君達も甘いようで…。最後に、「グッドラック」とグッジョブ的なジェスチャ(握ったコブシの親指を上げる)をし、なんとか帰ってもらう。

引越早々に頭が痛い出来事だ。家にいると子供が騒ぐので、子供達を連れて家の隣のスーパーに買い物に行くことにした。新しいフラットの隣には、小さなスーパーと大きなスーパーが並んで店を出している。既に小さいスーパーは昨日買い物して、経験済み。今日は大きな方のスーパーにチャレンジして、入店してみる。子供がスキップしながら入店すると、どうも雰囲気が違う。警備員が出てきて、

「子供は入店できない」

 と言う。何で?改めて店の名前を見ると「ビンゴ」などという怪しい名前だ。店の中は薄暗く、バニーガールのような露出度の高い店員もいる。中をよく見てみると、スロットマシンとかが置いてあって、スーパーだと思っていたのは、実はカジノだった。カジノは子供入れないわな。仕方ないのでカジノを後にして、近くの公園に移動して遊んで帰る。

夜になって、子供を寝かしてつけていると、どうもあのカジノが気になって仕方ない。数年前にラスベガスでスッカラカンになった悪夢を思い出したりする。結局、

「やってやる!やってやるぞ!!見てろよ!この俺がタダのガンオタ教授ではないことを見せてやる!」

 と闘志がわいてくる。もう子供は熟睡している!今こそ、カジノへ再出撃するのだ!!カジノへ入店して受付でメンバーズカードを作ると、バニーガールのオネエちゃんが

「今日はロイヤルウエディングで、記念品があるからどうぞ」

 と言ってきた。記念品とは何だ?手渡された記念品はロイヤルウエディングの小っ恥ずかしい写真のついたカップとキーホルダーだった。キーホルダーはともかく、カップは恥ずかしくて使えないトホホな感じ。

カジノの中を探索すると、この店のメイン・ギャンブルはビンゴのようで、スロットマシンは補助的なギャンブルのようだ。ビンゴが盛り上がっているが、ルールがよく分からない。ルールも日本と違うようだし、何よりビンゴで遊ぶには、いろいろな登録を英語でしなくては行けないようだ。なんかDJ的な人がステージの上で 「次の番号は…17番!!!プフゥゥーっっっっ!!

 と、マイケルジャクソンか、はたまた昔に少年ジャンプで連載していた「変態仮面」ばりに弾けている。やはり、私には難易度が高そうだ。仕方ないので、5ポンドだけスロットマシンに餌をあげて帰る。

【201Y年6月13日:死闘!ノッティンガム】

 2日前から、お腹の様子がおかしい。腸のあたりがジクジク痛む。たまに、ドンドコドンドコ痛み出す。まるで、腸の中で太鼓を叩いている感じだ。大学生の頃に急性腸炎になった時と同じ症状だ。前回の腸炎では救急車で運ばれた。しかしココはイギリス。前回よりは症状が少し軽いので2日間様子を見て我慢していたが、どんどん状況は悪くなっている。最悪、盲腸炎だったらどうしよう?

医者に行くとしても、英語でどうやって説明すればいいのよ?本当にヤバイ。すでに我慢できる一線を越えている。死ぬかも。仕方ないので、日本で加入してきた海外医療保険の会社に電話で聞いてみることにする。保険会社に電話すれば、日本語のオペレータが相談にのり、今後の対応を検討してくれるのだ。 保険会社のパンフレットには「日本人医師のいる病院が近くにある場合は、そこを紹介してくれる」とのこと。しかしロンドンならいざ知らず、ここはノッティンガム。日本人医師など多分いないだろう。でも、藁(わら)をもつかむ気持ちで、保険会社で電話する。 保険会社の電話は日本人が対応しくれた。苦しみながら状況を説明すると、

「まずはGP登録した医者に行くほうがいい」

 GPとは先日NHS登録した、かかり付け医者のことである。イギリスでは救急を除き、基本的には登録した医者しか診てくれない。

「普通の健康状態ならともかく、この状況では英語で医者との交渉は不可能」

 と私が言うと、保険会社のオペレータが

「今から医者に電話して、代わりに救急で診察してくれるように交渉する」

 と言う。結局、先日NHSを登録した大学内のクリニックに救急でかかることになった。予想通り、日本語を話せるスタッフなどはいない。電話でタクシーを呼び、身体を引きずってクリニックに行く。まずは、看護婦が出てきて

「病状を(英語で)説明してくれ」

 と言う。苦しみ悶えながらも、なんとか英語で説明する。アレルギーの有無とかいろいろ英語で質問してくる…。苦しい…。誰か助けて…。もうね、英語で説明とか無理だし…(T_T)。苦しみながら持参したパソコンを立ち上げ、英語辞書(英辞朗)を使いながら看護婦に状況を説明すると、

「OK!今からドクター呼んでくる」

 と看護婦は診察室を出ていった。その後、ドクターが来て診察してくれることに。ドクターは

「過去の病歴と、現在の病状を(英語で)説明するように」

 と要求。さっき看護婦に説明したのに、もう一回するの!?またもや苦しみながら説明する。

「過去に腸炎になったことがある。盲腸炎ではないか心配している」

 と頑張って苦しみながら説明する。ドクターは、指で私の腹を押さえながら 「ここ痛いか?」

 と触診を始めた。その後、血液検査と尿検査をすることに。日本なら、ここでレントゲンの一つも撮るだろう。日本で急性腸炎になったときは触診と尿検査・血液検査の後にレントゲンを撮り、炎症している所を特定した。しかし、医療費がタダのイギリスは経費削減のため、高価なレントゲンはなかなか撮らないらしい。しかも、日本なら血液検査と尿検査の結果は30分もすれば出てくるのだが、ここはイギリス。そんな便利に事はならない。検査結果は明日以降だという。

「とりあえず、腸の炎症に効く薬を処方するので、明日まで様子見で」

 とドクターが言う。ドクターが診察用のPCに向かって、カルテ入力を開始したので、一体どんなこと書くのだろうとチラ見すると、“His English is very poor.”と書き始めている。腹痛ながらも「それが最初かーいっ!」と心の中でツッコミを入れる。その後、薬の処方箋をくれると言う。ドクターが

「明日の診察予約を受付で取ってね」

 と言っているのだが、また受付で英語で予約の交渉をしなくてはならない。

「苦しくて英語で予約できないです」

 と言うと、何やらメモをくれて

「このメモを受付に渡せば、受付には伝わるから」

 と言う。しかし、渡されたメモを見てみるが、ドクターの字が独特で何が書いてあるか認識できない。海外で何度か経験したが、ネイティブでもアルファベットの字が汚い。日本人のアルファベットは非常に綺麗である。でも、きっとネイティブ同士なら、何が書いてあるのか認識できるのだろう。苦しみながら、受付でドクターから渡されたメモを見せると、受付の人が

何が書いてあるか分からないけど…

 ネイティブでも認識できなかったのね…。仕方なく、苦しみながらも

「明日の予約が必要だ」

 と英語で頑張ってみる。なんとか明日の診察の予約が取れた。次は、薬局に行って炎症を抑える薬を買わなくてならない。薬局はクリニックの上の階にあるので、場所的には便利だが、問題はもちろん英語だ。苦しみながら薬局に行き、ドクターにもらった処方箋を渡すと、なにやら書類を渡されて

「これに記入して」

 と言われる。書類には何やらよく分からない英語がビッシリだ。 ドラえもん助けて…ほんやくコンニャク出して…(T_T)と半ベソをかきながら、

「イギリスに来たばかりでよく分からんが、どうしたらいいの?」

 と質問し、お店の人にサポートしてもらって、何とか書類をクリア。薬代として7ポンド(1000円くらい)支払い、薬をもらう。その後、無事に家までたどり着く。まだ6月上旬なんだけど「最初からクライマックスだぜ~」な予感。

第3章 哀ノッティンガム編 (201X年7月2日~201Y年10月29日)より

【201Y年7月2日:ショーン特攻】

 腸炎が未だに完治していないようで、お腹が少しジクジク痛い。 ところで、パブ・メンバーの1人であるスイス人・ディジィエが来週にはスイスに帰国すると言う。今日は彼の送別式が行われることになった。参加メンバーはディジィエ、中国人のワン、スリランカ人のウィッキーとチェコ人のショーンと私の合計5名。ショーンは初めて登場するキャラではあるが、ショーンの席は研究室の入口付近で挨拶は交わすので、多少は話したことがある。午後6時に研究室でワンとウィッキーと合流し、バスに乗ってシティセンター(ノッティンガム駅前の繁華街)へ繰り出す。 彼らは大学院の学生であり、年齢は20代なので色々な意味でやる気満々だ。今日は朝まで遊び倒すという。

「あわよくば、ギャルをゲットしたい」

 と張り切ってきる。どこの国でも若者は同じだ。しかし私は40歳の中年ガンオタ教授。まだ腸炎も完治していないし、家庭持ちの私はそんな夜遊びするより、早めに帰って寝たいのだ。そこで

「11時には帰る」

 と念を押していた。 シティセンターに行くのは、ノッティンガムに来てから2~3回目だ。土地勘が全く無い。夜になると目印も無くなるので、私一人で帰宅できるか心配だ。でも、夜11時頃なら、まだバスが走っている。 こちらのバスは同じ路線でも複数の会社が乗り入れていて、値段やシステムが会社によって異なる。とにかくシステムがややこしい。例えば、一番メジャーなバス会社はお釣りは出ないし、なんと両替も出来ない。バス停のアナウンスも無く、サービス心ゼロな仕様である。一方、マイナーな会社の方はお釣りも出て、アナウンスもあるなど、サービスも値段も異なる。

さて、シティセンターに到着すると、ショーンとディジィエがパブで既に一杯ひっかけている。遅れて到着した我々3人もビールを注文し、5人飲むことに。いきなり話が盛り上がっていて、英語会話のスピードについていけていない。一生懸命、彼らの会話に耳を傾けていると、ワンが

「英語の話ついてきているか?」

 と聞く。

「会話スピードが速すぎて、ついていけない。でも俺はビール飲んで、酔っ払っているから気にするな」

 と返答する。みんな笑いながら

「心配するな、俺たちの英語もラビッシュ(ゴミ)だ。」

 と言っている。言われてみれば、このメンバーにネイティブはいない。 ビールを2杯飲んだ後、次のパブへ移動する。2件目のパブの入り口で、ガードマン的な強面の人がワンたちにID(身分証明書)の提示を求められている。日本と違って海外で酒を飲む時は、IDの提示を求められることが多い。私はIDを持ってこなかったので「しまった…」と内心ビビっていたが、私は特にIDの提示を求められることなくスルー。さすがに40歳だからか?

無事にパブに入り、ビールとテキーラで盛り上がってきたところで、

「よし、そろそろクラブへ移動だ!」

 と皆が気合を入れだした。ここでクラブと言うのは、日本で昔風に言えば「ディスコ」的な場所のことである。日本でもクラブとも言うが。夜10時なので、

「そろそろ帰りたいんだけど…」

 というと、みんなニヤニヤしながら、

「帰れるなら帰れば~!?」

 などと言っている。こいつら、私が土地に不慣れで一人ではバスに乗れないのを知っていて言ってるよ。

「いいじゃん、いいじゃん少し遅くなっても。クラブに行って騒ごうぜ!!」

 と言っている。彼らなりの好意だろう。私は腸炎が未だ完治せず、ジクジクとお腹が痛い。でも帰り方が分からないので、仕方なくクラブについて行くことに。 連中はホクホクしながら、スキップしてクラブに移動する。案内された先は教会。「なんで協会?」と思ったが、教会だった場所を改造してクラブにしたらしく、ノッティンガムでは有名なクラブらしい。

中に入ると、とにかくスピーカーの音がウルサイ。低音のウーハーがドンドンと効いて、腸炎が完治してない私の腹に、ボディブローをかましてくる。店内は若者ばかりだが、なぜかコスプレをしている客が多い。そういえば週末になると、大学キャンパスの中からコスプレしてテンション高くバスに乗り、街に繰り出す学生をよく見かけたが、そうか。あの若者たちはクラブに繰り出していたのか。

他のメンバーは踊りだし、私はお腹も痛いし、隅っこで1人飲んでいることにした。20代の彼らは楽しいかもしれんが、40歳の腸炎持ちにはキツイ。しばらくすると、踊っていたメンバーが集まりだし、飲み物を注文しようと言う。しかし、注文カウンターは客で溢れていて注文できる状態ではない。

「2階にも、バーカウンターがあるから、そこで注文しよう」

 と全員で2階に移動する。ところが、2階のバーカウンターには客も居ないが、スタッフも居なかった。待てども待てどもスタッフは現れず。皆は、バーテンの登場するのを待っているので、その間に私はトイレに行くことにした。

トイレから戻ってみると、なにやらショーンが警備員に小突かれている。警備員と言っても、イギリスの警備員は日本とは少々イメージが違う。筋肉ムキムキで腕の太さが丸太くらいあるプロレスラーみたいな、いわゆるバウンサー(用心棒)だ。その用心棒がブチ切れ、怒鳴りながらショーンに近寄り、彼のビールグラスを奪い取り地面に叩きつけて割った。

「ゲットアウタヒアー!」

 とショーンと近くにいたウィッキー、ワン、ディジィエをも小突きながら店の外に叩き出した。 いったい何が起こっているのだ?私は現場にいなかったので、お咎めなしだったのだが、このまま皆とはぐれてしまうと一人では家に帰れない。そこで彼らを追って外に出た。皆と合流し、

「何があったのか?」

 と尋ねてみると、カウンターでバーテンを待っていたショーンが、痺れを切らして勝手にカウンターの内部に入って、ビアサーバーからビールを注ぎだして飲みだしたという。う~ん、それ泥棒だし。 イギリスでは、店内外を問わず防犯カメラが回っているため警備員がすぐに発見したのだろう。ショーンは能天気に
「良い経験だっただろ?次のクラブに行こうぜ!」
 と反省の欠片もなく、笑いながら話しかけてきた。
「次の店行こうぜ!次の店!」
「次こそは、ギャルを引っ掛ける」

 と他の連中も気合満々だ。もはや完全にディジィエの送別会の意図は無くなっている気がする

次はオシアナとか言う、ノッティンガムで一番有名なクラブに移動。次の店ではウィッキーが一番張り切っている。踊りながら手当たり次第にナンパしている様子だ。いったい、どうやってナンパしているのか、面白そうだったので観察していると、

1. 踊っている女性に背後から、股間を摺り寄せて一緒に踊る。
2. しばらくして、女性が逃げていく。
3. 1に戻る。(以下、無限ループ)

といった感じだ。たぶん、女性の方がOKな場合は、2の時点でしばらく踊り続けたあと、テイクアウェイとなるのか?ウィッキーは

今日は、(ナンパが)調子が出ない

 ようなことを言っている。でも、その方法で本当に正しいのか? 彼らは大学院の学生なので、24~28歳くらい。とにかく元気だ。一方の私は40歳。20代と同じペースでクラブやパブをハシゴするのは、本当にシンドイ。相変わらず腸炎がジクジク痛む。時計を見ると午前3時半。トホホ。腸炎でお腹いたいんだけど…(涙)。 結局、朝4時までクラブに付き合い、その後、ケンタッキーフライドチキンに行き、若者達はフライドチキンを野獣のように喰らい、夜が明けて皆でバスで帰宅。楽しかったが、疲れまくった一日だった。

【201Y年7月31日:迫撃!トリプル・ストレス】

 昨日から耳鳴りがひどい。頭がクラクラする。目が回っている感じ。初めての経験だ。先日購入した家庭用の血圧計で血圧を測ると、下120-上190もある!これは危険なのでは?!トイレに行くため頑張ってベッドから身体を起すも、起き上がった途端にベッドから転げ落ちる。世界がグルグル回っている。立ち上がれない。

ベッドのある2階から身体を引きずって、階段を下りようとするが、メマイがひどくて階段を這い降りるのも困難だ。途中で階段から転げ落ちる。メマイ、頭痛、耳鳴りに加え、全身打撲。本当に歩けない。どうした、これ!?

立ってくれ…立てよっー!

この症状は、難病指定されている“メニエール病”と同じ症状なのでは?やはりストレスだろうか?イギリスでの不慣れな生活。英語がままならないのに、家族4人分の英語関連を一手に背負い、しかも、子供たちは夏休みなので、家で騒いで、私のストレスを増大させている。

あまり会話がないので英語も上達せず、イギリスで与えられた研究についても、順調に行っていない。経験上、人間というのは大きなストレスでも、これが1種類ならば、それほど問題ではない。精神的には頑張れる。しかし、複数のストレスが多面的にある場合は、ストレスに対処できないことが多い。今回の場合は英語のストレス、研究のストレス、子供のストレスと3つのストレスが同時に攻めてきている。もうイギリス生活、無理かも!?せめて、家族だけでも、日本に帰国させるべきか?今日は家で養生することにするが、結局、子供が家で騒ぎまくり、症状は大きく改善しない。

第4章 めぐりあいノッティンガム編 (201Y年11月3日~201Z年2月23日)より


【201Y年11月3日:ウィッキー、恋のあと】

 昨日、ウィッキーが私の席にやって来て

「明日(つまり今日)は超ビッグなパーティがあるから、夜の予定を空けとけ」

と言う。パーティはシティセンターで行うらしい。超ビッグなパーティって何だ? そこで、今日の夕方からいつものメンバー(ニック、ワン、ショーン、ウィッキー)とその他4名くらいで、ウィッキーのフラットで飲みだす。部屋で軽く酒を飲んで一段落したら、バスでシティセンターにパーティに行くと言う。ビールを飲みながら、ウィッキーに

「今日は何のパーティ?」

 と聞くと、

「とっても、ビッグなパーティさ。町中からギャルが集まってくる」

ビバリーヒルズ高校白書なみのジェスチャーで力説している

「ギャルは何人くらい来るんかいな?」

 と聞くと

「50人くらいかな」

 などと言っている、一体何があるというのだ!? 私の隣で飲んでいるショーンに

「今日は何のパーティ?」

 と聞くと、何のことはない、単にウィッキーの誕生パーティだった。期待を裏切らない平凡な答え

ほどほどに酒を飲んで、皆でシティセンターに移動する。 シティセンターに移動すると、いつの間にかメンバーが2倍に増えた。確かに、私の知らないギャルが数人は増えている。

合流したメンバーと中華料理屋で皆で食事をすることに。イギリスの中華料理は、香港を租借していた関係で、味がなかなか本場の味で美味しい。その後、パブに移動する。夜11時過ぎまで飲み、その後はクラブに移動すると言うので、40歳のオジサンは若くないので、帰宅することに。

【201Y年11月24日:RED5の片道切符】

 渡英前に日本で購入した靴がボロボロだ。基本的にほとんどの移動は徒歩なので、平均すると毎日60分以上は歩いている計算になる。そのため、足裏はガチガチになるのだが、足裏は、法隆先生に持ってきてもらった青竹踏みがあるので、かなり楽にはなった。ただ、やはり靴も消耗が激しい。とうとう靴の親指のあたりに穴が開いてしまった。今日は、バスでシティセンターに行き、靴を見て回ることに。

昼過ぎから、家の近所のバス停から、シティセンター行きのバスを待つ。今日乗るバスは、先日90分以上待たされて結局来なかった例のRED5だ。前回、90分も待たされて不安だったが、今日は時間通りに来た。しかし、バスに乗り順調にルートを進んでいくと、途中で運転席から「ビーっビーっ」と警告音が鳴り出した。運転手がただならぬ様子で

「シット!?」

 とか言いながら運転している。私は「バスに何かあったんかいな?」と思いながらも、様子を見ていると、しばらく動いていたバスが、バス停と全く関係のない場所で停車してしまった。すると運転手がニコヤカに

ガス欠になってしまったよ。ハハハ。今、会社に電話した。10分後に代わりのバスが到着する予定だよ。ここからならシティセンター まで歩いても10分だし。バスの到着を待つなり、ここから歩いて行くなり自由にしてくれ」

 と言い出す。運転手よ、なぜそんなにスガスガシイ顔をしているのだ?仕方ないので、乗客のほとんどは歩いて、シティセンターに行くことに。

ちなみに、日本で40年住んで、途中でガス欠になる路線バスには乗ったことがない。雪とかで立ち往生しているなら、理解も出来るが、今日は全くの晴天。「普通、運転中にガス欠になるか~?朝一番に、チェックしないのか?」などと、日本人なら誰もが思う疑問も一瞬は浮かんだが、ここは、イギリス。さもありなん。

幸いにしてシティセンターへの道は分かっていたので、歩いてシティセンターへ行くことに。同じバスに乗合わした人々と一緒にシティセンター方面まで歩いていく。ほどほどに生活に慣れてきたので、「これも記念に写真撮っておくか」などと余裕もある昨今。これも異文化体験である。



【201Y年12月22日:RED5の恐怖】

 昨日、いろいろタブレットPCをチェックし、帰宅後に候補となるPCをネットで評判を調べて、最終的に購入する機種を決めた。今日は色々と仕事があるので、朝一でお店に行って購入し、その後、直ぐに研究室に行くことにした。バスでシティセンターに行き、PCを購入する。

PC購入後に直ぐに研究室に戻るために、いつものRED5に乗り込んだ。出発まで、5分少々あるので、車内でボケ~と待つことに、しかし5分経っても、10分経っても発車しない。運転手は、運転席で何か色々とやっている。一応、発車しようと試みてはいるようだ。 しばらく待っていると、運転手が

「残念だがバスが動かない。他のバスに乗ってくれ」

とホガラカな顔で言う。うんうん。ありえるこの展開。もうね、全然驚かない。いつものRED5だし。心穏やかにバスを変更して、同じ会社のバスに乗り換える。もはや悟りの境地に近い。次に乗ったバスの運転手はクリスマスシーズンということもあり、サンタクロースのコスプレをしている。イギリスでは、運転手がサンタのコスプレをするのは普通である。

今度は無事にバスが発車する。しかし、運転席の様子がおかしい。運転手が時折

ホッ~ホッホッ

 と大声で笑っている。交差点付近では特に「ホッ~ホッホッ」の笑いの回数が増える。何だ何だ??サンタクロースのコスプレと関係あるのか?流石に気になりだし、意を決して運転手の様子を見に行く。運転手は笑い声に反して、非常に険しい顔をしている。どうやら「ホッ~ホッホッ」という奇声は運転手が発しているのではないようだ。 なぜだ?運転手はなぜそんなに険しい顔をしているのだ??そもそも「ホッ~ホッホッ」はどこから発せられているのだ?

しばらく様子を伺っていると、運転手がブレーキをかけるたびに、車体から「ホッ~ホッホッ」が発せられることを発見する。どうやらブレーキの調子が悪く、ブレーキを踏むたびに「ホッ~ホッホッ」という奇音が生じるようだ。しかも、ブレーキがあまり利いていない様子だ。なるほど、「ホッ~ホッホッ」が交差点に多く、運転手が険しい顔していることに合点がいく。

しかし、ブレーキが利かないのは危ないではないか!?それに気付き、目的には少し遠いが、停車ボタンを押し、すぐにバスを下車する。降りたバス停から目的地まで徒歩15分以上あったが、命には代えられない。

乗っているバスがやられちまえば、徒歩だサンタだって言えるかよ!?RED5恐るべし。



5章 イギリス30番地事件簿 (201Z年2月某日~201Z年4月某日)より

【201Z年2月末某日:祭りの後】

 帰国したばかりであるが、共同研究打ち合わせのため、関西に向かう。久々に新幹線に乗った。途中の新大阪駅に到着する時に車内アナウンスがあり、

「今日は雨のため、新大阪駅到着が3分遅れております。お忙しい中、ご迷惑をおかけします…」

 と言っている。3分か…。全然ノープロブレム。イギリスでは路線バスを90分以上待った経験をした私にとって、改めて日本の交通システムの質の高さを実感した瞬間である。

ちなみに、イギリスで治療した歯を、帰国後に日本の歯医者に診察してもらったところ、全部、治療し直しとなった。私・長男・次男の治療した歯の全てである。 昨今、日本のことを「だから日本は駄目なんだ。欧米では…」などと批判する日本人が多い。しかし、日本はそんなにダメな国だろうか?一度でも外国で生活したら分かる「なんて日本は素晴らしい国なのだ」と。

第6章 逆襲のノッティンガム編 (201Z年6月某日~201Z年9月5日)より

【201Z年8月29日】

 朝8時頃に空港に到着すると、台風の影響で、日本から韓国へのフライトが5時間近く遅れると言う。馬鹿な!すでに台風は去ったはずだ!?どうやら、前日のフライトが大幅に遅れていて、ドミノ式で今回の便に遅れが生じているらしい。

ちょっと待て!韓国でイギリス行のフライトに乗り換える予定だが、乗り継ぎ時間は2時間しかないぞ!?日本から韓国に到着するのが5時間遅れると、乗換のイギリス便はすでに行った後ではないか!?航空会社のカウンターに今後の対応を尋ねると、

「韓国からイギリスへの便は、今後一週間は満席で、空きがない」

 と言う。どうするのだ??韓国の航空会社に具体的な対策を尋ねるも、会社の対応が最悪で、なかなかフライト変更に対応してくれない。ちくしょう!なんて会社だ!カウンター越しに対応の悪い受付嬢と3時間のバトルの後、

1. まずは韓国まで行き、
2. 韓国からスペイン行きの便に乗り、
3. スペインからイギリスに行く

の代替案を提案される。3つのフライトを乗り継ぐことになりそうだ。 本来の予定では、イギリス到着は本日の夕方の予定だったが、各フライトの待ち時間やスペインを経由するために、到着が大幅に遅れることになった。そのため予定より一日遅い、次の日(30日)の朝にイギリスに到着することに。それはいい!台風だし、フライト変更だし、多少時間が狂うことは仕方ない。ロンドンのホテルもキャンセルできないプランで、ホテル代も無駄になるが、仕方ない。

しか~し!!フライト変更に11万円も支払うことに!!!韓国の航空会社が言うには台風は免責事項らしいが、そういうものなのか?ちくしょーーーーっ!(少し古いがコウメ太夫風に)

怒りを抑えながらも日本を出発し、韓国の空港に15時ころ到着。日本の空港では、フライト変更後、出発までの時間があまりなくてフライト変更の手続きが完全には出来ていなくて、韓国の空港で変更手続きを行う必要があるらしい。手続きカウンターに向かうと、ものすごい人が並んでいる。やはり台風の影響で大混乱していようだ。結局、3時間も列に並ぶことに。

私の次の便(韓国→スペイン)は乗換に8時間近く時間があったので、手続きに3時間かかっても、私は問題ないが、次のフライトまで時間の無い乗客は、対応の遅さにキレている。次のフライトに間に合わない人が難民と化している。女子大生風の日本人が

「時間がないのよっ!!何とかしてよ!!」

 と韓国人スタッフに泣きながら、日本語でキレまくっていた。分かる。気持ちが痛いほど分かる。

さて、私の方は無事に手続きが終わったが、スペイン出発まで5時間近くあるので、仕方なく出国ゲートの前でザコ寝して待つことにする。まるで猿岩石のヒッチハイクを思い出す。色々と疲れたので3時間ほど寝る。起きてから掲示板を見ると、スペイン出発が1時間以上遅れるという。結局、1時間30分遅れで韓国からスペインに向けて出発する。実に10時間以上、韓国の空港で過ごしたことになる。感覚的には空港で1泊である。それは良いのだが、こんなに出発が遅れて、スペインでの乗り継ぎ(スペイン→イギリス便)は大丈夫かいな??
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